2.Tales    説話集


もろみの塔・北伝編

 「もろみの塔」の源流は、天酒教と言われている。天酒教は天酒を唯一絶対のもろみ(生一本)と位置づけ、他の酒教を「その他の雑酒」としてさげすんできた。もろみの塔はそうした酒の純血主義を嫌い、東方に逃れてきた一派である。
 しかしながら、東漸するうちにイスラムの無酒教圏にぶつかり、これとの諍いを避けるために南北に分かれて日本に伝来したのである。現在もろみの塔が南伝系(九州地方)北伝系(東北地方)の2派に分かれるのはこうした理由によるものである。
 南伝系の「もろみの塔」は実践を主体とし、北伝系が秘蹟にその根拠を置いているのは、伝来する途中で他の酒教との習合があったからに他ならない。
 たとえば景教の影響が大きいと見られる南伝の「アルコールを取ればええ」という方法論は、北伝においてはわずかにカストリウス派にその片鱗が見られるのみである。
 一方山岳密教の影響を大きく取り入れた北伝派は、酒験道となり、四日連続宴会の荒行とか、「朝に4本、昼に2本、夕方に3本」と呼ばれる酒行を重ねる酒験者を生み出した。
 そこまで酒行に打ち込まなくとも、北伝系のもろみの塔信者達は、心に内なるもろみを宿すことを信仰の証としたのである。
 すなわちおのおのが在家(または在居酒屋、在スナック、在バー、在友人宅等々)にて酒行を尽くし、心に内なるもろみタンクをうち立てることが目的なのである。聖人列伝にある言葉が残されている。「酒は瓶の中にはあらず。我が杯の内にあり」。
 凡人ののぞみは、苦界から解脱すること、あるいは天国に転生することであろう。しかし、凡人が容易に解脱の境地に達することは出来ない。天国を想像することすら容易ではない。無明の闇を抱えたままでは、天国に昇ることはかなわないであろう。しかし、凡人も酒を呑めば天国の楽しみを味わうことが出来る。酒は凡人を、いくらか天上に近づける塔となるのである。心の内に、無限の酒を醸し出すもろみの塔をうち立てること。それが北伝の目的である。

・天地醸造
 始めに水があった。神が「光あれ」と宣うと、そこに光が生まれた。神は光と闇を分けて、昼と夜、すなわち「一日」を作られた。
 第一日目、神は米を作られた。
 第二日目、神は麹を作られた。
 第三日目、神は酒母を立てられた。
 第四日目、神はもろみを仕込まれた。
 第五日目、神はもろみを絞られた。
 第六日目、神は新酒に火入をされた。
 第七日目、神はその酒を飲まれた。その後ずっと飲み続けておられる。
  このことから、もろみの塔に住まう神は、酒飲みのタワーゴットと呼ばれている。

・マリア
 ある熱心な杜氏が仕込み蔵の中で祈っていた。「神よ、われに素晴らしい酒を醸す力を与えたまえ……」。するともろみタンクから光り輝く聖母が現れ、杜氏に一本のアンプルを渡した。そのアンプルの酵母を使うようになってから、杜氏は全国新酒鑑評会に6回連続入賞し、1回休んで、また3連続入賞したとのことである。
 この杜氏は正直な人だったので、酵母を独り占めにするのはもったいないと、飛鳥山の教会に預けることにした。
 この素晴らしい酵母をもたらした聖母を、人は「酵母マリア」と呼ぶ。
 このときの酵母は馬小屋で生まれたと伝えられている。また、この酵母生誕の夜、空には酒旗星が輝き、東方の3博士が山田錦と、吟醸麹と、乳酸を携えて現れたと伝えられる(3博士の一人は田村學造氏であったと言われている)。

・酸敗
 昔、ある寺で酒を醸していたところ、一人の雲水が現れて、酒を乞うたという。寺の僧が「酒はまだ出来ていない」と答えると、雲水は「もろみでも良いから飲ませよ」と更に乞うた。面倒くさくなった寺僧は、「あれは酢もろみじゃから、飲めぬよ。」と答えると、雲水は「そうか、酢もろみならば仕方あるまいなあ」と呟いて、そこを去っていった。
 翌日からそのもろみの滴定酸度がぐんぐん上がりはじめ、「あなふしぎ 除酸の灰も まにあわず」という状態になってしまった。
 それ以来その寺では、もろみを立てても立てても酢になってしまうため、遂に醸造を諦めたと言うことだ。この雲水は、野生キラー酵母大師であると伝えられている。


・酒海文書
 世界の中央に酒海有り。
 酒海に酒虫住みしばしば暴走し、これ人をのみこむ。
 かの地の人々は言う。
 酒海には火酒の7日間の前、天空まで達するがごとし「もろみの塔」ありきと

 また曰く、火酒の7日間よりもろみの塔は崩れ、大地よりカビ・酵母・もろみ湧き出ず。さらに障気(炭酸ガス)充満す。故に酒海に入る者は、ことごとく奈良漬けとなり鼈甲色に浸かり果てぬ。
 ただ、虫の扱いを良くする者、酒虫を操りて、酒海を縦横す。また酒虫の青い血より秘薬を練り、これを服す。秘薬を服したる者は「眼藍児」と呼ばれ、能く予言を成すという。
 更に口伝によれば、火酒の7日間に遙か南方に逃れたる一族、アルコール・ワットなる塔を築き、もろみの塔の偉容を偲んだと言う。

※註
酒海近くの洞穴で餅麹造りを生業にする少年が、洞穴の奥から羊皮紙、魚皮紙、陳皮紙などに書かれた古文書を発見した。これが酒海文書である。記したのは北伝系ミチノクコモラン教団と考えられているが、特に重要なものは非経典的な教団文書で、主なものを挙げると、《共同体の規律》は当教団の入会儀礼,教理,規律,賛歌を記し、《光の子と闇の子の戦い》は終末時の戦闘の状況を描き、《賛美の詩篇》は契約の恩恵と選びの思想を強調した詩篇である。