火酒の7日間
世界は巨大な酒の瓶であった。酒瓶にはなみなみと原・酒がたたえられ、その上に酒母虫が浮かんでいた。酒母虫の背中にはもろみの塔が立ち、もろみの塔を二頭の神獣、白き泡の象「醸象」と、蒼き炎の竜「蒸竜」が守っていた。
もろみの塔の中央には天酒が鎮座し、日夜もろみの塔からわき上がる美酒を浴び、永遠の喜悦の中に酔い痴れていた。
天酒には弟がいた(酒神二郎真君という名前だったと伝えられる)。弟は自分もふんだんに美酒を味わいたいと思い続けていたが、兄の天酒がもろみを独占して飲ませようとしない。迂闊に近づけば、醸象と蒸竜に追い返されるだけである。
悔しさをつのらせた酒神は一計を案じ、醸象と蒸竜に声を掛けた。両者を競わせて、共倒れさせようと言う計略だ。
「おおい、お前さん達は、どちらも酒精の眷族(酔族)だろうに、どうしてそんなに姿が違うんだい?」。
まず醸象が答えた。『我こそはもろみの塔のもろみそのものからあふれ出した泡より生まれし者。米・麹・水の三位一体の権化である」。象が口を開くたびに、口角から白い泡がはじけ、酒の匂いが辺り一面に立ち込めた。
ついで蒸竜が叫ぶ。「我はもろみの塔より立ち昇りし酒精の精。魂の魂。全ての酒行者が求めて止まない精霊の本質なり」。竜が叫ぶたびに、鼻孔から蒼白い炎が踊った。
酒神はやや怖気をふるいながらも「それじゃ二頭の酒護神とは言っても、蒸竜の方が強いって訳だ」。
早速蒸竜が吠えた。「そうとも、そうとも。おおよそ強さを競ったらば、この蒸竜様に敵うものはあるまい。うはははは」。
これを聞いて醸象は怒った。怒りの余り全身高泡状態になりながら、「何をぬかす。酒の本質は甘辛ピンの三味一体、甘辛酸苦渋の五味一体。酒精さえ有ればよいとは、何とあきれたアルチュハイマー」
「さんまもゴミもあるものか、強いと言ったら強いもん勝ちだぜ。惨象、腐象、密象!」
「ほざいたな、このヤコマンうなぎ!」
怒り心頭に発した醸象が鼻を高々と持ち上げて「マッシュ、口噛み、マセラシオーン」と叫ぶや、純米吟醸酒、ワイン、ビール、エール、シードル、チチャ、老酒、クワス、カシキシ、ウランジら、醸象の酒備隊が現れ、一斉に蒸竜に打ちかかる。
蒸竜、ひらりと身をかわし「シャラント、蘭引、ポットスチール」と雄叫びを上げる。たちまちウイスキー、ブランデー、ラム、ジン、白乾児、泡盛、ウオッカ、シュナップ、アラック、汾酒に五糧液にマルメカヤ、蒸竜酒軍団の酒力部隊が踊り出る。醸界を真っ二つに分けた戦いの火蓋が切って落とされたのだ(味醂とポルトだけはどちらに加勢して良いか分からず、うろうろしていたとも伝えられる)。
この戦いは蒸竜の吐く火炎に包まれながら七日間続き、後に「火酒の七日間」と呼ばれることになる。醸象の酒備隊も善戦したが、蒸竜の吐く火勢の凄まじさに、ついにもろみの塔は火を吹き始めた。
これに驚いたのが酒母虫である。背中にお灸を据えられたようなもの。これはたまらんと無数の手足を波打たせて、背中に原・酒を掛け始めた。乍ち原・酒の原・酒精に火が燃え移り、もろみの塔をことごとく燃やし尽くしてしまったという事だ。このとき世界は酒毒に覆われ、酒毒廃人(酒毒モルグ)が多数生まれたという。
燃え残った原・酒の影響であろうか、以来もろみの塔の有った辺りは異様な酒気を帯び、巨大麹の花が咲き乱れ、酒母虫から出芽した酒虫、酒通蚊、酔蟹、ピンクの象などが徘徊する「酒海」と化したのである。
天酒は生き残った眷属らを引き連れ、どこか新しい世界へと旅だち、酒神二郎真君は、酒海の底に沈んで修羅と化したとも言われている。
今でも酒海の奥深く、遙か地下に滾々と美酒のわき出る泉があるという。それが失われたもろみの塔の廃墟であると伝えられるが、酒海の奥深く分け入って、その泉に至ったものは居ない。