タイトル | : GESORTING 197 復元するはわれにあり |
記事No | : 99 |
投稿日 | : 2013/10/06(Sun) 18:06:11 |
投稿者 | : geso |
サーバ移行時のトラブルで「GESORTING」のファイルの多くが吹っ飛んだんだけど,管理人がアーカイブとして復元してくれたので,これを機に久々に投稿することにしました. 見返してみたらブランクは11箇月にも及ぶ... この間は『まとめてアバヨと云わせてもらうぜ』と『なまこじょしこおせえ』のCD復刻,通称『第五列BOX』の制作,第五列絡みのトーク企画やインタビュー,竹田賢一『地表に蠢く音楽ども』の刊行等に関わっていて,枯れ木も山の賑わいでした. 文中原則敬称略/私信と重複する部分あり/ですます調とである調は混在/主語は当面「私」.
[直近の覚書] ○園子温『地獄でなぜ悪い』(2013 日) むしろ『映画でなぜ悪い』或いは『虚構でなぜ悪い』という表題が相応しいハイテンションなスプラッタ・ヤクザ・ファンタジー. ヤクザの本物の抗争場面を映画撮影するなかで,主要登場人物の殆どが凄惨に,だが幸福感の絶頂で殺されてゆく.一番不運な(巻き込まれただけの)星野源ですら――コーク大量摂取の効果もあるとはいえ――二階堂ふみとの愛の幻想に満悦しつつ逝く... 「絶頂で死にたい」(竹田賢一作詩作曲歌唱)を勝手に想起. 唯一人 生き延び,撮影済みフィルムと録音テープを掻っ攫って狂笑しながら逃げ切るのが長谷川博己(監督役)というのは,<映画は結局監督のもの>という意味か.慥かにそんな傲慢さなしには映画など作れないとも思う. 園監督の知人の映画監督がヤクザの親分の娘と恋仲になり,親分に捕まって娘を主役にした映画を撮れと脅されたという<実話>に基づく作品だと聞いたが,それが本当なら面白すぎる...
△倉地久美夫 マヘル・シャラル・ハシュ・バズ コンサート(鶯谷 東京キネマ倶楽部 10/4) フライヤー等に記載された説明は分かりにくいが,東京都と,東京都歴史文化財団という公益財団法人が主催する「東京文化発信プロジェクト」の一つ「サウンド・ライブ・トーキョー」というフェスティヴァルの一環であるらしい. パンフや,その挟み込みの大量のフライヤーは,デザインセンスに疑問を感じるものの,いずれもカネを掛けた立派なものである. こうした歴とした催しを見て何だか胡散臭いとか,カネの流れはどうなってるんだろうとか疑ってしまうのは,私がひねくれているからでしょう. 第一部は倉地久美夫.前半はソロ,後半はtriola(波多野敦子vn+手島絵里子vla)と千葉広樹cbを加えたカルテット. 倉地は疲れていたようで,いつもに較べると精彩を欠く演奏だった. triolaによる編曲は以前よりも更に凝っていたが,カルテットの演奏は,合奏曲として綺麗に纏っていた半面,当初の瑞々しく荒々しい勢いは失われており,旬は終わってると感じずにはいられなかった. 倉地+triolaは,今回倉地が上京している間にCDのレコーディングを行うということだが,今ではなく,2012年中に――ギリギリ同年9月の原宿VACANTでの共演の頃までに――録音すべきだったと,私は思う. CDはごく端正な作品集になると予想されるが,永続的なユニットではないのだし,それほど緻密に作り込まなくとも,パワフルな演奏を旬の時期にパッケージングしてほしかったなぁ... エンディングには工藤冬里も参加ということで,ピアノの前に座りはしたが,手回しのサイレンをちょっと鳴らしてお茶を濁したのみ. 第二部のマヘルは,いったい何人編成だったのか――パンフにも誰それ「ほか」としか載ってない.ちゃんと数えなかったが,15,6人は居たと思う. 途中,「今夜はブギーバック」のカラオケビデオと一緒に――ラップ部分は自作詩に差し替えて――歌と演奏をしたところと,いきなり倉地に長い詩を一篇「朗読してよ」と無茶振りしたところ――倉地は戸惑いつつ読めない漢字を飛ばして何とか完遂――を除いて,終始,ポスト3.11の<感じ>を強調した概ね短めの自作ダダ詩(英語対訳付き)をプロジェクタで映写しつつ,工藤が朗読(ときに歌唱)+アクションし(今回は楽器演奏はなし),他のメンバーが伴奏するという様式だったが,似たような詩が切れ目なく50篇も続いたのにはさすがに飽きた. 詩ごとに付された楽曲(ミニマルにならざるを得ない)を,工藤の朗読(割と適当)の開始と終了のタイミングに合わせて演奏するメンバー諸氏はまことにご苦労様で,信者でなければとても務まらないと思った. プログラムのマヘルの解説には<ギターやヴォーカルなどをリズム・セクションが支えるというロックバンドの「ピラミッド型」の編成を批判的に解体し、ロックには滅多に使われないマイナー楽器を多く含む逆ピラミッド型の編成を、その都度数人から数十人規模で実現。>と記載されている. もしそうであれば,ピラミッド型であろうと逆ピラミッド型であろうと,その「頂点」に位置する指揮者或いはトリックスター――ここでは工藤――の存在自体を批判的に解体しない限り,ロックバンドの権力構造も解体されないんじゃないだろうか. まぁ,今回の企画者は,倉地たちの「固い」室内楽と,マヘルの「緩い」オーケストラの対比の面白さを目論んだだけなのかも知れない.
[餘は何故新江ノ島水族館を訪ねし乎](私信ヨリ) 映畫『パシフィツク・リム』(以下「リム」)を觀たから――と云ふのは遠因よりも近いが近因と云ふ程では無いので中因と言つておかう。 否。そんな言葉は無いし抑も因果律ナド錯覺である事はニイチエの徒にとつては自明の理。 其れは兔も角リムの美點の一つは怪獸邦畫が錢は掛けたくないわ面倒臭ひわで描いて來なかつた<怪獸の死骸を如何に始末するか>と云ふ問題を丹念に描いてゐた事である。 闇の解體業者が肉片一つ殘さず持ち去るのだけれど生食には不適なので保存食品や怪しげな藥品に加工の上販賣するのである。 其の解體場面で怪獸の胎内からワラワラと飛び出して來た寄生蟲達がダイオウグソクムシ(以下「グソク」)を摸倣したと思しき仔山羊程の大きさがあるキモ可愛い方々なのであつた。 さう云ふ譯でグソクの實物が觀たくなり新江ノ島水族館(以下「エノスイ」)を訪ねた。 グソクは海底に棲む巨大なダンゴムシ樣の生物である。 日本では此處と鳥羽水族館でしか飼育されて居らぬらしい。 鳥羽のグソクの方がデカいし中には何故か一年以上に亙り絶食を續けてゐる有名な御仔も居るのだがさう簡單には觀に行けぬから――九年前に訪ねた事は有るが當時は未だグソクは居らなんだ――エノスイで御茶を濁したのである。 エノスイのグソクたちは大きい者でも三〇糎程度で鳥羽の五〇糎級には敵わないし殆ど動きも見られなかつたのはやや期待外れであつた。 然しプラステイネイシヨンを施したグソクに直接手で觸れらるのは嬉しかつた。 甲羅は蟹竝みに硬く丈夫であつた。 エノスイにはグソク以外にも賣りがあり結果的には其方がヨリ樂しめた。 即ちクラゲフアンタジーホール。 鶴岡市立加茂水族館には敵わないが多分その次ぐらゐに多種多樣の水母が揃つてゐる。 海底の雰圍氣を釀し出したホールに設えられた大小樣々な水槽――中には球形の物も在る――の中を微妙に色彩が變化する照明を浴びながら優雅にたゆたう水母の群れ。 此はもう眼福としか言ひ樣が無い。 以上の外にも御決まりの海豚シヨーを觀覽堪能し己の水族館好きを再確認した事である。 矢張り動物園よりも水族館也。
蛇足壹 何故動物園を陸族館と云はぬのだらうか。 蛇足貳 リムに就いて『解放軍報』は「中國を<怪獸>や<寄生蟲>に見立てて貶める作品」であるとして怒りを表明した由。 怪獸の解體屋集團を中國(系米國?)人に演じさせてゐる事や怪獸に兩親を殺され孤兒となつた日本人女性を米國軍人が育てたと云ふ設定を日米同盟の暗喩と受け取つた譯である。 言はれて見れば慥かにさう讀めない事も無い。 デルトロ監督自身は純粹アニメ・怪獸オタクで政治的意図は無ささうだが聖林映畫だからなあ…… でも單に「かうした役は中國人が似合ふ」「かうした役は日本人の女の子が良い」と云つた工合に類型的に描いただけだとも思ふ。 類型化の裏に偏見が存するのは事實だらうが。
[11箇月間の覚書] (大半コメント略) ○瀬名秀明『デカルトの密室』(新潮文庫 2008.親本 2005) 島田荘司は自分が書きたかったと悔しがったのでは. ○野坂昭如『四畳半色の濡衣』(文春文庫 1982.親本 1977) ○結城光考『プラ・バロック』(光文社文庫 2011.親本 2009) ○同『エコイック・メモリ』(同 2012.親本 2010) 女性警官を主人公にした近未来(並行世界?)警察小説.ハード&クールでカッケー. ○連城三紀彦『恋愛小説館』(文春文庫 1990.親本 1987) ○同『萩の雨』(講談社文庫 1992.親本 1989) ○同『蛍草』(文春文庫 1991.親本 1988) ○同『新・恋愛小説館』(文春文庫 1994.親本 1991) ○同『前夜祭』(文春文庫 1997.親本 1994) ○同『宵待草夜情』(新潮文庫 1987.親本 1983) ○同『もうひとつの恋文』(新潮文庫 1989.親本 1986) ○同『飾り火 上下』(同 1988.親本 1985) ○同『萩の雨』(講談社文庫 1992.親本 1989) ○同『恋文のおんなたち』(文春文庫 1988.親本 1985 ○同『敗北への凱旋』(講談社文庫 1986.親本 1983) 大東亜戦争秘話.暗号小説.社会派+本格ミステリ. ○同『残紅』(講談社文庫 1989.親本 1985) ○同『運命の八分休符』(文春文庫 1986.親本 1983) 辻真先ふうユーモアミステリ. ○同『日曜日と九つの短篇』(文春文庫 1988.親本 1985) slice of life ○同『青き犠牲』(文春文庫 1989.親本 1986) ○同『離婚しない女』(同 1989.親本 1986) ○同『あじさい前線』(中公文庫 1992.親本 1989) ○同『虹の八番目の色』(幻冬舎文庫 1999) 確信犯的な朝の連ドラふう作品.舞台は農村. ○同『褐色の祭り 上下』(同 1993.親本 1990) 拗くれたメロドラマ. ○同『たそがれ色の微笑』(新潮文庫 1992.親本 1998) ○同『背中合わせ』(新潮文庫 1993) ○同『美女』(集英社文庫 2000.親本 1997) ○同『変調二人羽織』(光文社文庫 2010.親本 講談社 1984) ○同『顔のない肖像画』(新潮文庫 1996.親本 1993) ○同『愛情の限界』(光文社文庫 1996.親本 1993) ○同『暗色コメディ』(新潮文庫 1985.親本 1982)再 ○同『花塵』(講談社文庫 1997.親本 1994) ○同『白光』(光文社文庫 2008.親本 朝日新聞社 2002) ○同『造花の蜜 上下』(角川春樹事務所 2010.親本 2008) ○同『誰かヒロイン』(双葉文庫 2009.親本 1995) ○同『美の神たちの反乱』(新潮文庫 1995.親本 朝陽出版社 1992) コンノベル. ○同『どこまでも殺されて』(新潮文庫 1995.親本 1990) ○同『終章からの女』(双葉文庫 1998.親本 1994) ○同『夜よ鼠たちのために』(新潮文庫 1986.親本 実業之日本社 1983) ○同『年上の女』(中公文庫 2000.親本 1997) ○同『一瞬の虹』(新潮文庫 1994.親本 佼成出版社 1990) ○同『密やかな喪服』(講談社 1982) ○同『瓦斯灯』(講談社 1984) ○同『落日の門』(新潮社 1993) ○同『紫の傷』(双葉社 1994) ○同『火恋』(文藝春秋 1999) ○同『秘花』(東京新聞出版部 2000) ○同『ゆきずりの唇』(中央公論新社 2000) ○『ながれ星と遊んだころ』(双葉社 2003) これで既存の連城作品は完読. 「普通の恋愛小説でしょ」「古いんじゃない」と批判する人が居るが,ちゃんと読んだことがあるんだろうか.実際には普通の恋愛小説は一つもないし,古い新しいと善し悪しとはそもそも関係ない.どれも一筋縄ではいかない複雑な心理小説であり,演技論・演劇論としても読める. △柴田よしき『やってられない月曜日』(新潮文庫 2010.親本 2007) 働く女性で細部のリアリティに共感する向きも多いだろうから深夜枠でテレビドラマ化すればいいがミステリ的興趣は乏しい. ○長岡弘樹『陽だまりの偽り』(双葉文庫 2008.親本 2005) デビュー短編集.かなり捻ったダークな状況設定には通じるものがあるが結末に救いがある作品も含まれている点で,「白い蒼井上鷹」とでもいうか. △垣根涼介『張り込み姫』(新潮文庫 2012.親本 2010) △辻村深水『ツナグ』(新潮文庫 2012.親本 2010) ○三上延『ビブリア古書堂の事件手帖4〜栞子さんと二つの顔〜』(メディアワークス文庫 2013) 面白さで言えば4>1>2>3だが,「乱歩」や「少年探偵団」に反応してしまう者にとってこの巻は必読なので,未読の場合,嫌でも1巻から順に読まねばならぬ.通して読まないと分かりづらいという,シリーズものの嫌らしさを最大限に生かしている. △地引雄一編『EATER '90s』(K&Bパブリッシャーズ 2012) △月刊『望星』編『不良老人伝』(東海教育研究所 2008) △山前謙編『ねこ!ネコ!猫!』(徳間文庫 2008) △岡崎琢磨『珈琲店タレーランの事件簿』(宝島文庫 2012) ○川崎草志『長い腕』(角川文庫 2004.親本 2001)再読 ○同『長い腕II 呪い唄』(角川文庫 2012) ○大沼紀子『真夜中のパン屋さん 午前0時のレシピ』(ポプラ文庫 2011) ○同『真夜中のパン屋さん 午前1時の恋泥棒』(ポプラ文庫 2011) ○同『真夜中のパン屋さん 午前2時の転校生』(ポプラ文庫 2012) ○山田正紀『復活するはわれにあり』(双葉社 2013) ○適菜収『ニーチェの警鐘』(講談社+α新書 2012) △ヤマザキマリ『テルマエ・ロマエ VI』(エンターブレイン 2013) ○鹿島茂『オール・アバウト・セックス』(文春文庫 2005.親本 2002) ○山形浩生『要するに』(河出文庫 2008.親本『山形道場』イーストプレス 2001) ○大森望・日下三蔵編『年間SF傑作選 虚構機関』(創元SF文庫 2008) ×叶紙器『伽羅の橋』(光文社文庫 2013.親本 2010) ○海堂尊『マドンナ・ヴェルデ』(新潮社 2010) △海堂尊『医学のたまご』(理論社 2008) ○アーシュラ・K・ル・グィン『闇の左手』(ハヤカワ文庫 1978.原著 1969) △大澤信亮『新世紀神曲』(新潮社 2013) ○蛇蔵&海野凪子『日本人の知らない日本語4』(メディアファクトリー 2013) ○適菜収『いたこニーチェ』(飛鳥新車 2009) ○村田基『夢魔の通り道』(角川ホラー文庫 1997) ○西澤保彦『彼女はもういない』(幻冬舎 2011) ○梨木香歩『僕は、そして僕たちはどう生きるか』(理論社 2011) ○貫井徳郎『後悔と真実の色』(幻冬舎文庫 2012.親本 2009) ○森達也『それでもドキュメンタリーは嘘をつく』(角川文庫 2008.親本 2005) △増田こうすけ『ギャグマンガ日和 14』(集英社ジャンプ・コミックス 2013) ○柴田よしき『Miss You』(文春文庫 2002.親本 1999) △筒井康隆『ビアンカ・オーバースタディ』(星海社 2012) ラノベというよりも中高校生向けSFポルノ. ○東島誠・与那覇潤『日本の起源』(太田出版 2013)
△吉田大八『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(2007 日) ○同『パーマネント野ばら』(2010 日) ○山下淳弘『松ヶ根乱射事件』(2006 日) ○セス・マクファーレン『テッド』(2012 米) ○中原俊『猫のように』(1988 日)25年振り再観 ○ウェス・アンダーソン『ムーンライズ・キングダム』(2011 米) ○ファラー・カーン『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム』(2007 印) △神代辰巳『女地獄 森は濡れた』(1973 日) ○パク・チャヌク『イノセント・ガーデン』(2012 米) ○ラジクマール・ヒラーニ『きっと、うまくいく』(2009 印) ○白鳥信一『赤線本牧 チャブヤの女』(1975 日)38年振り再観 ×藤井克彦『残酷・黒薔薇私刑』(1975 日) △キム・ギドク『嘆きのピエタ』(2012 韓) 儒教道徳とキリスト教の結合はおぞましく納得できない. △依田智臣『処女かまきり』(1973 日) △本田達男『人妻セックス地獄』(1974 日) △本田達男『女高生飼育』(1975 日) △ジョン・カサヴェテス『ラヴ・ストリームス』(1983 米) ○同『こわれゆく女』(1974 米) 佯狂は嫌いなれど両作ともジーナ・ローランズの気狂いぶりが真に迫っており圧巻. ○ギレルモ・デル・トロ『パシフィック・リム』(2013 米) ○牧口雄二『毒婦お伝と首斬り浅』(1977 日) △パトリス・ルコント『スーサイド・ショップ』(2012 仏・白・加) プロット単純すぎ. △井上昭『秘録おんな牢』(1968 日) ○石井裕也『舟を編む』(2013 日) △佐藤信介『図書館戦争』(2013 日)
2013.10.06 GESO
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