1. 1965, "Rehearsal extract", Incus CD single 01. Joseph Holbrooke Trio (with Gavin Bryars b: Tony Oxley ds). 2. 19 March 1966, "live at Club 43, Manchester, UK". audience recording. Lee Konitz Quartet (with Lee Konitz as: Gavin Bryars b: Tony Oxley ds). 3. 18 Feb. 1968, "Karyobin", Chronoscope CPE2001-2. Spontaneous Music Ensemble (with Kenny Wheeler tp, fl-h: Evan Parker ss: Dave Holand b: John Stevens ds). 4. 29 Feb. 1968, "AOS" from "Yoko Ono/Plastic Ono Band". Apple SAPCOR 17. Yoko Ono vo: Ornette Coleman tp: Edward Blackwell ds: Charles Haden b: David Izenzon b. 5. 28 Aug. 1968, "Infraudibles" (composed by Herbert Brün) from "Cybernetic Serendipity Music", ICA ICA 01. Various (with Bernard Rands czimbalum: Gavin Bryars b: Richard Howe fr-h: Evan Parker ts). 6. 3 Jan. 1969, "Stone Garden" from "The Baptised traveller", CBS (GB) 52664/Sony-Columbia 494438. Tony Oxley Quintet (with Kenny Wheeler t, fl-h: Evan Parker ss: Jeff Clyne b: Tonny Oxley ds). 7. June 1969, "European echoes", FMP 0010/UMS/ALP232CD. Manfred Schoof (with Arjen Gorter, Buschi Niebergall, Peter Kowald b: Han Bennink, Pierre Favre ds: Alexander von Schlippenbach, Fred Van Hove, Irène Schweitzer p: Evan Parker ss: Gerd Dudek, Peter Brötzmann ts: Paul Rutherford tb: Enrico Rava, Hugh Steinmetz, Manfred Schoof tp).
・<年代順に聴く>という非ポストモダン的な聴き方には共感.「誰と誰とがどういう順序で出逢ったか」という<歴史>の検証は,やはり重用. ・この時期のベイリーの演奏は,竹田賢一が指摘したように慥かにアンサンブルの中で<異物感>を放ってはいるが,制約下でのフリーフォームという印象.共演者たちの出自が演奏全体の雰囲気を特徴づけているため,多くはフリージャズの範疇に入る演奏だ――サイバネティック・セレンディピティ・ミュージックは電子音楽系だけど.ベイリーのギターは,集団の中にあって,こう言っちゃ何だが<効果音>的機能を果たしているように聞こえる. ・トニー・オクスリーds,ギャビン・ブライヤーズbと組んだジョゼフ・ホルブルック・トリオ(英国マイナー作曲家の名を借りた,ベイリー最初のグループ)は「マイルス・モード」を演奏しているが,ベイリーのギターは「最初と最後にテーマを演奏しとけば,真中辺りの演奏はモードもテンポも無視して構わないでしょ?」と言いたげ.10分に1回濡れ場を入れさえすれば後は好きに撮って構わなかった往年のロマンポルノを連想.そういう点では<制約つきのフリー>. ・ちなみにワトソン本所収のオクスリーのインタヴューを読むと,ジョゼフ・ホルブルック・トリオは当時(1963〜1966),日本のティポグラフィカを想起させる拍子分割の実験をさんざん試みていたらしく興味深い. ・ベイリーは楽曲も演奏しているが,原曲に忠実にやっているとは思えない.また,コール・アンド・レスポンス的なやり取りもしているけれど,フレーズを応酬するようなオーセンティックなものではない.その辺りに,後の<非イディオマティック的な>即興演奏の萌芽が窺われる. ・横井一江は自著『アヴァンギャルド・ジャズ――ヨーロッパ・フリーの軌跡』(未知谷 2011)の中で,ベイリーが,自著『インプロヴィゼーション――即興演奏の彼方へ』(工作舎 1981.原著 1980)で提唱していた<非イディオマティックな即興演奏>がドグマとして一人歩きすることの危うさを訴えていたと思う(うろ覚え).そのとおりかも. ベイリーが問題にしていたのは演奏そのもの――<結果>ではなく<過程>――以外ではなかったということに注意.<非イディオマティックな即興演奏>は,終了した演奏やその録音物といった<結果>に対して求めるべきものではなく,また,それ自体を<目的>とするものでもない. ・意外な演奏家がベイリーファンだった↓. h t t p : / / e - d a y s . c c /(注:ここまでの文字はベタ打ちに直す)music/column/takada/201003/30432.php ・ジョン・ケージ/ダニエル・シャルル『小鳥たちのために』(青土社 1982.原著 1976)を読むと,ケージとベイリーの意外な類似点に気付く. 例えば:感情から自由になること/自我を開放すること/行為の結果に対する無関心/「あらゆる音に対して開かれた耳には,すべてが音楽的に聞こえるはず,私達が美しいと判断する音楽だけではなく,生そのものであるような音楽」/フリージャズが観念と音楽的関係の世界に閉じ込められているという批判(コール&レスポンスの重視や,時間的なビート感覚を保持することで音楽の範疇に留まっていること)/ダンサー(舞踏家)との共演における一見無関係な関係/etc. 相違点ももちろんある.例えば<偶然>について,ピーター・ライリーはケージ型の偶然は意図して実践するある種の慣性であるのに対して,ベイリー型の偶然は抑圧から解放までの広い範囲にわたる作業課題であると述べる(ワトソン本).偶然を技法化すること自体が矛盾だと私も思うが,これは作曲家と演奏家(取り分けギター)という立場の違いに由来するものかも知れない. ・作品をつくる<方法>や<手段>に作者の署名が入ることでそれ自体が作品化してしまうことには,疑問を抱かざるを得ない. ・ちなみに,次のイヴェント↓と重なったため「聴く会 Vol.02」には行けなかった.
△南條竹則『人生はうしろ向きに』(集英社新書 2011) ホラティウス,吉田兼好,チャールズ・ラム,デイヴィド・ヒュームらを引いて,進歩主義を「根拠のない野蛮な思想」として退け,「うしろ向き」に生きることを慫慂する書.私も「Nothing changes for the better.」には同感だが,進歩主義者たちを論破するにはもう少し詳細な内容にしないと,単なる反動主義として無視される危惧もある.
[匂いの本を巡る雑感] A 浅暮三文『カニスの血を嗣ぐ』(講談社ノベルス 1999)○ 再読.犬の嗅覚を持ち,匂いを「見る」ことができる隻眼の男の視点で描かれるハードボイルド幻想小説.生理的に受け付けない読者もいるだろうが――こんなに面白いのに勿体ない――浅暮作品の中ではいまだにベスト.
B ライアル・ワトソン『匂いの記憶 知られざる欲望の起爆装置:ヤコブソン器官』(光文社 2000.原著 2000) 読み物としては○だが,どうもこの人の書くことは胡散臭くて抵抗がある.
C パリティ編集委員会『色とにおいの科学』(丸善 2001)△ 為にはなるが専門向けで概して面白くない.だが,匂いを分析することと識別することとは違うという点に着目し,ニューラルネットワーク解析法の一つバックプロパゲーション(逆伝播)認識法を用いて(説明略),いわば人間の匂い識別能を増幅する形で,薄すぎて人間では識別不能な匂いを識別する「においセンサー」が開発された話は面白い.
D 大瀧丈二『嗅覚系の分子神経生物学 においの感覚世界』(フレグランスジャーナル社 2005)○ これも専門向けだが,メインテーマにも増して「科学論」の説明に紙幅が割かれており,その書きっぷりが意外に熱いところが面白い.
E エイヴリー・ギルバート『匂いの人類学 鼻は知っている』(ランダムハウス講談社 2009)○ 著者は心理学者/認知科学者/匂い関係の企業家で博覧強記の人.洒脱な科学読み物としてワトソンより信憑性も高く,今回読んだうちでは一番面白かった. 独逸人と日本人の匂いの好みの著しい違い――例えば独逸人女性の40%近くがヴィックスヴェポラップの匂いを食用に適した匂いと感じている――だとか,本書が採り上げた死臭や腐臭絡みの実話の幾つかが後に映画化されていること――例えば『127時間』や『THE ICEMAN 氷の処刑人』――だとか,プルースト「失われた時を求めて」における「ふやけたマドレーヌ」の効果が過大評価されていることへの反証だとか,興味深い話題が盛り沢山. 味覚の話もかなり出てくるが,「料理」は必ずしも必要のない文化的習慣などではなくて,人間が生存するうえで生物学的に必要な行為であることの論証が面白かった.
F 新村芳人『興奮する匂い食欲をそそる匂い』(技術評論社 2012)○ 今回読んだ中では記述の科学性と面白さのバランスではベスト.精子にも嗅覚受容体が機能している――いわば卵子を「嗅ぎ当てる」――とか,辛味や渋味は味覚ではなく痛覚であるとか,アポクリン腺から分泌されるヒトフェロモンは雄ブタの唾液に含まれる性フェロモン(アンドロステノン)と同じもので,何故か利き腕の脇の下からより多く分泌されるとか. E本とかぶる話題――独逸人と日本人の匂いの快不快に関する著しい相違など――も出て来て,読み較べるのも一興.