タイトル | : 2000/08/07■023 寓話 |
記事No | : 122 |
投稿日 | : 2013/10/05(Sat) 09:54:53 |
投稿者 | : 管理人 |
[寓話] テレビで,2個のキウイフルーツのように寄り添うハリネズミを見た.針を立てずに睦んでいる. 考えてみれば,ハリネズミが針を立てるのは威嚇・攻撃の時であって,年中立ててるわけではないのだ,当然. そこから類推すると,「ヤマアラシのジレンマ」というのは全く事実に基づかない寓話なのではないかという疑いが生ずる. 実際のヤマアラシたちは「棘の痛さから適切な距離を学ぶ」必要もなく,最初から針を立てずに交流しているのではないだろうか. 動物の擬人化はヤバイ.俺は昔から擬人化を利用したイソップ寓話だの自然保護運動だのウォルト・ディズニー映画だのには騙されないように注意している(基本だが).
[本] 忙しくても本は読まないわけにはいかない. が,金がないので買うのは専ら新書や文庫本で,あとは借りる.最近は盗まない.うぅでもダーガーは欲しい. 乙一『石の目』(集英社)は「ホラー」というよりもファンタジー,あるいは残酷童話とでも呼ぶべき短編集. 収められた4編は,いずれも大人の作家なら没にしそうな,ちょっと子供っぽい手垢の付いたモチーフを使ってるし,筋も先が読める憾みがある....まだ21歳だもんなぁ. だが,「存在しないもの」を言葉によって存在させようとする執念と,試行錯誤する文体は好もしく,近い将来傑作を物するんじゃないかと俺は期待している. 自分が体験したことしか書けない小説家は小説家とは言えない−よって柳美里など小説家じゃなく,ただのリポーターだ−が,乙は紛れもない小説家と言えるだろう. 『ろくでなしのバラッド』(小学館文庫)を書いた森巣博は,配偶者は英国人で著名な学者,息子は数学の天才,そして本人は無頼の博打打ちという,物書きとして非常においしい立場にある人だ. 本書は主にキャンベラのカシノ(が正しい表記だそうだ)での出来事が綴られた,自伝というかエッセイというか. 殆ど自慢話の羅列といっていいが,不思議に嫌な感じは受けない.何であれ,筋金の入った人の言葉は傾聴に値するものである.博打をする人には役に立つかも知れない(立たないかも知れない)し,しない人には為になる(ならないかも知れない).取り敢えず面白い. ただ,終章「なぜ日本にはカシノが存在できないのか」で示される日本社会への批判は,正論すぎてちょっと鼻白むかも. 和田秀樹『多重人格』(講談社現代新書)は,現在では「解離性同一性障害」と呼ばれているこの病気をテーマに,豊富な実例(宮崎事件にも多くの紙面が割かれている)を交えて解説した本である. 精神医学の現状を平易な文章で手際よく伝えた,結構な入門書だとは思う. 個人的には,個々の症例よりも,実際の症例が診断基準(米国の有名なDSM−精神疾患の診断と統計マニュアル.最新版は1994年のDMS-IV)にフィードバックされ,病名が書き換えられていく過程の方に興味を覚える. そこから,精神医学とは直接関係のない「帰納と演繹」という古い問題に思いが至ったのだが,それはまた別の話. あと,これも直接関係ないけど,「シゾフレ人間」「メランコ人間」といった,著者のネーミングセンスは如何なものか.俺はトホホと思うばかりである. 佐藤亜紀『1809 ナポレオン暗殺』(文春文庫)は,作者の著作中,文庫版として現在唯一入手可能なものだ.多分文春は,作者と新潮社との揉め事に便乗して,今を狙って出したんだろうけど(あざといぜ),読者としては結果オーライ. まだ読みかけだが,福田和也の解説(俺は解説を先に読む悪い癖)が柄にもなく低姿勢で,借りてきた猫みたい. 作者と鼎談集を出したことがあるから,身内のことは悪く言えないということなんだろう,なるほど分かりやすい「文壇の総会屋」ではある. もっとも佐藤の方じゃ身内とは思っていまいが.
2000/08/07 GESO
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