タイトル | : 2000/08/30■025 浅川マキ |
記事No | : 124 |
投稿日 | : 2013/10/05(Sat) 09:56:43 |
投稿者 | : 管理人 |
[浅川マキ] 「本名・森本由美子.石川県金沢市出身の昭和19年5月29日生まれ(23歳),石川県立小松高校卒,身長・158センチ,体重・48キロ.子どものころは,唱歌がにが手で,音楽の成績は中の下.TBS『10人抜きのど自慢』に出場し8人抜く.趣味は,「へんてこりんな詩を書くこと」」 というのが,公式ホームページ(http://www.toshiba-emi.co.jp/asakawa/)にも載ってない浅川マキの略歴(1967年7月時点)である.いやぁ,「平凡」の歌本は実にタメになる. のど自慢で8人抜いたというのは意外だが,そのとき何を歌ったのかが気になる.多分,美空ひばりのナンバーは歌った筈だ,と妄想する. デビュー曲は「夜が明けたら」ではなく,67年4月にビクターから発売されたシングル「東京挽歌」(帆歩健太作曲・小林亜星作編曲)だ.「東京流れ者」系の凡庸な歌謡曲で,ヒットは望むべくもなかったが,B面の「アーメン・ジロー」(浅川マキ作詞・山木幸三郎作編曲)は,既に後の作品に直結する味わい. 翌年東芝に移籍して以来,殆どのアルバムを廃盤にされながらも,30年以上ずっと同じレーベルに居座っているのは何故だろう.義理堅さ?いや,多分面倒臭がりなだけなんだろうな. それはともかく. 8月27日,新宿PIT INNで25年ぶりに浅川マキのライヴを観た.最近知ったのだが,今年の3月から毎月同所で「最終の日曜日 浅川マキを聴く」と題された昼夜2回公演を続けていたのであった(今回行ったのは昼の部). 登場するなり「町の酒場で」「わたしが娼婦になったなら」「あんな女は初めてのブルース」「難破ブルース」「ちょっと長い関係のブルース」(というラインナップだったと思うが記憶は定かではない)を立て続けに無伴奏で歌う.そして語りと歌が,どこまでが語りでどこからが歌か,境界も曖昧なまま続いてゆく.いつ始まるのかと思っていた伴奏は遂に登場せず,歌は延々と無伴奏のままである.決してCD化されないであろう寺山修司作品(在日朝鮮人の死を歌ったもの)も歌われる.亡くなった宮澤昭(ts)を偲んで,CD(浅川マキがプロデュースしたもの.廃盤)から1曲掛けたりする....10分ほどの休憩を挟んで始まった後半も,やはり無伴奏の歌と語りの連続.歌は,フルコーラス歌うものは少なく,概ね1コーラスか2コーラスずつメドレーで(というか,思い付くままに)歌われるので,一体全部で何曲歌ったのか,把握できない.やはり先月亡くなった川端民生(b)を偲んで,氏の参加している演奏をCDから4曲掛ける.ライヴでCDを流されるのは「何か損した感じ」(鈴木健雄)であるが,有無を言わせない.客(コアなファンが30人弱)に不満そうな雰囲気もない.最後の最後に,客席に居た渋谷毅(p)を引っ張り出して伴奏を頼み,ぶっつけ本番で「マイ・マン」「炎の向こうに」「あのひとは行った」の3曲を演って拍手喝采のうちに終了.全2時間の公演だった. 多分,渋谷が登場しなければ,全部無伴奏で通したのだろう.毎回こうなのかどうかは分からないが,次はできればバックバンド付きの歌を聴きたい. とは言え,善し悪しや巧拙を云々するよりも,その不変性,唯一無比・唯我独尊な点で「凄い」というほかないステージであった. 実際,バッキングメンバーに多少の変遷はあっても,浅川マキ自体は,最初から出来上がっており,デビュー以来33年間,全然変わっていないのだ. その点,演ってることは違っても,灰野敬二や向井千惠を観たときの印象に近いものがある. 強いて似ているものを挙げれば,語りは岸田今日子,歌は意外にも美空ひばり(部分的にだが.例えば,音を伸ばしているときの声質)であろうか. ところで,福間未紗が浅川マキのカヴァーを演っているらしいのだが,どの曲を演っているのだろう. ちょっと長く書きすぎた.またにする.
2000/08/30 GESO
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