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タイトル2000/09/12■027 音楽雑誌
記事No126
投稿日: 2013/10/05(Sat) 09:57:50
投稿者管理人
[音楽雑誌]
 日本では夥しい種類の音楽雑誌が出版されているが,皆ヨイショ本であり,そこには「批評」というものは存在しない――ということは,よく言われる.
 実際,音盤会社からの広告収入に頼らざるを得ない商業誌が,音盤会社に所属する音楽家たちへの批判を載せられないのは無理からぬことだし,独立系の音楽雑誌の場合は,編集する側と採り上げられる音楽家側が身内だったり,時には同一人物だったりするので,やはり批判は載せられないのである.
 広告主批判も「仲間」批判も禁忌となれば,これはもう無難に誉め合うことしかできない.ただし,共通の敵(とみなされる存在)がいる場合は,大同団結して叩く――何も音楽雑誌業界に限ったことではなく,これが日本的集団における「和」という美徳の有り様であろう.
 少数派向け雑誌同士が批判し合った「事件」も過去に幾つかあったが(「ニューミュージック・マガジン」対「ロッキング・オン」など),あれらは結局文筆業者ないし編集者同士の音楽観を巡る些細な喧嘩(縄張り争いも絡む)に過ぎず,音楽批評とは無縁の出来事だったと思う.
 そんなヌルマ湯が常態であるから,「別冊宝島 音楽誌が書かないJポップ批評7」に載った烏賀陽弘道の「Jポップ英検ランキング」という挑発的な記事と,同誌「8」に寄せられたBonnie Pinkの反論及びそれに対する烏賀陽の再反論,という出来事が,珍事として近頃話題になったわけだ.
 論点自体は全然新しいものではない.
 烏賀陽は「日本人のリスナーを相手に英語で作詞する日本人ミュージシャンは二流だ」として,ボニピン,ブリグリ,TKらの作品を例に,Jポップスの歌詞における英語の出鱈目さを批判した.
 名指しで批判されたボニピンは「音楽に正解・不正解」はなく,「すべて好きか嫌いか」だけで,「これはアートです。ロックはルールを壊すことから始まります。もっと頭を柔らかくして下さい。」と反論.英語の正確さということに関しては「ヒップホップなどに見受けられる、一つのスタイルとしてのグラマーの崩壊は許せるけど、日本人のそれはダメだというのは悲しいことです。」と言う.
 で,烏賀陽は「リスナーは最大限気楽でOK」なるも「表現者や評論家、音楽産業といった「プロ」には最大限の努力と誠実を要求する」と再反論.日本人だから日本語で歌えということではなく,必然性のない誤った英語を使うことは「外国の表現文化を甘く見ているという点で、傲慢とさえいえる。」と言う(ああ,引用って面倒臭い).
 烏賀陽の主張は「何を今更」の芸のない正論でつまらんし,ボニピンの主張は単に馬鹿じゃん,以上――で済む内容ではあるが,この論争ならぬ論争は,この先果たして拡がりを見せるのだろうか?
 俺は見せないと思う.
 なぜなら,今回の喧嘩の当事者は,余り有名ではない文筆業者と音楽家であり,舞台も本来の音楽雑誌ではないから――烏賀陽の本業は「アエラ」の編集者であり,ボニピンは素人に毛が生えた程度の職業音楽家であり,「別冊宝島」は音盤会社の紐付きでも独立系の牙城でもなく,音楽好きの文筆業者たちの投稿誌みたいなものであるから――大勢に影響があるとは思えないのである.
 オトナでお金持ちのTKが,この先わざわざ反論してくることもないだろうし(そういう大人げないことでもしてくれれば,面白いのだが).
 これが「有名音楽評論家が有名音楽家を有名音楽専門誌で名指しで批判する」事件であればどうか.オオゴトになるだろうか.
 業界のヌルマ湯体質から言って恐らくそういう事件は起こらないだろうし,何かの間違いで起こったとしても,音楽家の所属する制作会社が圧力を掛けて事件を潰すか,関係各社の上層部が話し合って(時には何らかの交換条件付きで)手打ちにするかして,丸く収まることだろう――浜田雅功の「倉木麻衣は宇多田ヒカルのパクリ」発言騒ぎのときのように.
 逆に言えば,今回の事件は,音楽専門誌ではない「別冊宝島」という媒体だからこそ起こり得たことである.
 そうでなければ,無名な文筆業者の過激(に見えないこともない)文章が載ることも,それに対するほぼ無名な音楽家の(事務所を通さない)直接的な反論が載ることも,なかったことだろう.
 すべて世は事もなし.
 で,飛躍的な結論.
 音楽雑誌は所詮宣伝誌.であれば,「最大限気楽なリスナー」は,情報量が多く,かつ,無料の「bounce」や「musee」(いずれもタワーレコードの月刊宣伝誌)あたりを読んでいれば充分だろう.
 もうちょっと気楽でない聴き手は,少数派に偏向した雑誌(「G-Modern」など)を併読することによって,セーシンのキンコーを保つのが良いだろう.
 ついでに.「表現者」のほうは,甘やかしのヨイショや的外れな批判は受け流し,的を射た批評――そういうものは常に少数だ――だけを受け入れて,我が道を行けばいいのだ,当然.

[何雑誌?]
 「InterCommunication」誌(NTT版エピステーメー)で始まった坂本龍一+浅田彰(「Claude and Aquirax」だとさ)の新連載(往復eメール)を立ち読みして失笑.
 何がすごいって,「お前ら,世界の王様か!」と思わず突っ込みたくなるようなお二方の偉そーぶり.高踏派の溢れんばかりの教養とスノビズムに胸焼けする思いが味わえるので,ファンならずとも必読なり.
 アートの最前線に立ち合わずして何が文化人かと言わんばかりに世界を駆け巡りつつ,武満やトゥープを貶しつつ,柄谷や悠治に秋波を送りつつ,ガンジー思想なぞを再評価しつつ,グルメしつつ......憂国する二人.
 だから何だっつーの.

2000/09/12 GESO