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タイトル2000/10/09■030 健康診断
記事No129
投稿日: 2013/10/05(Sat) 09:59:46
投稿者管理人
[雑誌]
 読みたい記事など少しだけなのだから立ち読みで済ましとけばいいものを,つい雑誌を纏め買いしてしまうことがある.カネの無駄だし置き場にも困るのだが,衝動買いは止められない.
 「コミックバウンド」創刊号(エニックス)は,山上たつひこ原作・泉晴紀作画の連載に釣られて購入.地味な話であった.山たつは漫画界に復帰するとか自選の全集を出すとかいう話があったのに,どうしたんだろう.他に,ピエール瀧原作・漫☆画太郎作画という,妙なコラボレイションもあり.
 「月刊マンガエフ」11月号(太田出版)は,駕籠真太郎vsポール・バーホーベンの「東西ヘンタイ対談」に釣られて.共に確信犯的悪趣味の徒.『インビジブル』,ちょっと見たい.
 「ダ・ヴィンチ」11月号(メディアファクトリー)は特集「キミはゲソピンくんを見たか!?」に釣られて.この夏,あちこちの雑誌・様々な作者の作品中にチョイ役で登場したあの妙なキャラは,ゲソピンくんというのか(親近感少々)....
 「SF Japan」秋季号(徳間書店)は,筒井康隆vs京極夏彦の対談に釣られて.開口一番「(京極氏の黒手袋を指さして)それ、なんですか。」とかます,さすが筒井.だが,軽くはぐらかされてしまう....

[ストラーダ]
 10月6日,小石川図書館で無料ライヴを観る.
 このバンドに関しては,なんか誉めなきゃいけないみたいなムードがあるのだが,正直言って俺にはピンとこない.誉める役は「オーディオ・ビジュアルアーティスト」の園田佐登志に任せておこう(彼が当日配ったヨイショ文を添付しました(テキストファイル).万一開けなかったらご一報ください).
 まぁ,どう評価しようと人の勝手ではあるが,「ガレージ・サーフィンの名曲「二十世紀旗手(2O SElKl KISHU)」がこの国で作られたことを私は、誇りに思う。」てのはなんだかなぁ....お前は小林よしのりか?
 俺が不満に感じるのは,このバンドでは久下惠生のドラムスが爆発せずいつも不完全燃焼な点だとか,例えば「セクシー・ツイスト」のように本来下世話なノリで演奏されるのが望ましいナンバーも脱臭されて綺麗に纏まってしまう点などである.その一種の上品さや架空のノスタルジアは,彼らがよくライヴを行う「曼荼羅II」みたいな空間にはよく似合うのであるが,俺には余り響いてこないのだった.

[リッキー・マーティン]
 リッキー・マーティンは下世話だと思うけど,特に興味はない.
 が,先日偶然テレビの歌番組(多分「ミュージック・フェア」)で歌ってるのを見て,「何だか聞いたことある曲やなぁ」と思ったら,ゲッ,ベタベタのラテンものにアレンジした「カサブランカ・ムーン」ではないか,歌詞もベタベタだ,これはカヴァーというよりも替歌というべきだな,何てタイトルなんだろう....と,ちょっとびっくり.
 いや,それだけの話なんですけどね.

[健康診断]
 先月末に,年に一度の日帰り人間ドックに行ったのだが,判定結果が郵送されてきた.
 肝臓が高ビリルビン血症でC(これは進行すると黄疸になるらしい),胆嚢にポリープがあってC,腎尿路系が尿潜血でB,それ以外は全部A――身体に良いことを一切やっていない割には好成績だと,自分では思う.
 医師の話では,Cといっても「要経過観察」だから,そんなに心配することはないとのこと.ポリープもごく小さいし(因みに評価の最低ランクはE――「治療を要す」である).
 ただ,去年までは検査の前日だけはアルコールを摂らなかったのに,今年は気付いたらビールを飲んでいた(ビールは酒じゃない,と思ってるもんで).遂に年中無休肝日である.これはちょっとイケナイと思うが,分かっちゃいるけど止められない....

2000/10/09 GESO

タイトル■(GESORTING 030 付録)
記事No130
投稿日: 2013/10/05(Sat) 10:00:51
投稿者管理人
第39回小石川サロンコンサート「ストラーダの世界」に寄せて
10月6日(金)午後6時30分
文京区立小石川図書館4階ホール

STRADAとその周辺

<テキサス アンダーグラウンド>
「Amanda's Texas Undergroundは兎に角雑然としていた。古くて珍しい物ばかりでなく、古いけど安価な物、―昔前のさほど珍しく無い物、売り物だか飾り物だかよく分からない物、それらが分け隔てなく置かれている状態が妙に気に入った。」
(STRADAのWebサイト、桜井のコラムより)。
ストラーダ2ndCDのタイトルでもある「TEXAS UNDERGROUND」という曲はギターの桜井の作品である。実はそのタイトルは楽器店の名称をただそのまま付けただけであり、しかもその楽器店はテキサスではなくテネシー州ナッシュビルに存在し、Amanda's Texas Undergroundが店の正式名称であるとのこと。
<成増 米軍宿舎 グラントハイツ>
練馬区光が丘入り口の古色蒼然とした木造建築前で佇む4人(人ではなく、前かごにチューパが無造作に突っ込まれた自転車のヴァージョンもある)。CD「テキサス アンダーグラウンド」のジャケットに使われている写真の立地は、川越街道沿いのみやげ物屋が選ばれている。かつてその周辺には米軍将校の家族用宿舎であるグラントハイツ(現在の光が丘二ュータウン)があった。グラントハイツは成増飛行場を進駐軍が戦後まもなく接収しその跡地に建てられ、昭和48年に日本に返近された。
ここで使用されている写真は空と車線が薄黄色に、全体はプルーにマスキングされている。「FUJI」と読みとれる看板の横にはTEXAS UNDERGROUND STRADAの黄色の刻印がある。
「FUJI」の店内にはかつてどのような土産物が並んでいたのか。キモノや浮世絵、古陶磁器に混じってオールドノリタケ? まさか? 昭和20年の敗戦から昭和26年9月8日のサンフランシスコ講和条約調印までの占領下に「メイド・イン・オキュパイド・ジャパン(Made in Occupied Japan=占領下日本)」と刻印され戦後復興用として輸出用に大量に作られたプリキやセルロイドの人形や陶器類があった。そういう類のものが雑然と置いてあったかどうかは定かではないが…。
<STRADAの世界>
「STRADAはSTRADAについてより多くを語らない」とは、OFF NOTEのプロデューサー神谷の弁だが、桜井が梧る「Amanda's Texas Underground」の店内の様子といい、CDタイトルの由来や命名のセンスといい.CDジャケット写真の立地や画像処理といい、それらすべてが彼らの非グロ―パル、脱インターナショナルな「兎に角雑然」とした音の核を語る上では欠かせない符号として私の前に立ち現れてくる。「古くて珍しい物ぱかりでなく、古いけど安価な物、―昔前のさほど珍しく無い物、売り物だか飾り物だかよく分からない物、それらが分け隔てなく置かれている」ような音楽の状態として。1stCDの「山道(YAMAMICHI)」のジャケット写真で選ばれた山道の景色もまた同様に。
<篠田昌已/STRADAの飄質>
映画ファンであれば,<STRADA>と聞いてまず思い浮かべるものは、大道芸人のわびしい浮草生活を描いた伊のフェデリコ・フェリー二監督1954年の名作「LA STRADA」(邦題は「道」)あるいは、そこで使われた二ノ・口―タの哀切なメロディーかも知れない。連関はご想像にお任せする。
80年代の終わりに篠田昌已、中尾勘二、関島岳郎でCompostelaが結成され、92年12月に篠田昌已が亡くなりCompostelaは解散。その後Compostelaの流れを汲むパンドとして中尾勘二,桜井芳樹、久下惠生と関島岳郎でStradaは結成された(いっとき「関島・中尾ユニット」で活動していた時期もあるが、基本的には同メンパーである)。
さて、STRADAの音楽は、全体としてはつかまえどころのない「飄質(ひょうしつ)」を、その特徴としている。
1stCD「山道」の導入部、中尾作の「記忘(KIBOU)」から「身それた花(MISORETAHANA)」、関島の「水辺のうた」にいたる音の道筋は、なぜこのアルパムが「山道」と名付けられたかを伺わせる内容となっている。
―歩また―歩と足許を踏みしめながら「山道」を進んでゆくような,「音」のその足取りは、私に亡くなった篠田のある言葉を思い出させる。
「街でトタン屋根に雨が当たる音と同じようなもので、チンドンというものは.起承転結とか頑張りとか盛り上がりとか、そういうのじゃない世界なんだよね…」と(*1)。
さらに,国立で行われた篠田の没後一周年のイべントで桜井がアコースティックギター一本でみごとに弾き切ったビクトル・ハラ(*2)の「耕すものの祈り」(1969)やビクトル・ハラの音楽世界がたたえる静謐な美しさと力強さをもまたSTRADAは想起させる。
しかしながら,STRADAは私たちを裏切る。
韓国やインドネシア、スウェーデン、ジューイッシュやルーマニアの民謡以外にも「世界の縁(ふち)」を伝い、種々雑多な彼らのオリジナルの数々が彼らの背後に控えているからだ。
CD「山道」に納められた桜井の手による豪快なガレージ・サーフィンの名曲「二十世紀旗手(2O SElKl KISHU)」がこの国で作られたことを私は、誇りに思う。
そうであっても、いやそうであるからこそ、彼らの音楽がもし聞く者の心を真にとらえて離さないとすれば、騒然としたものであれ清寧なものであれ何であれ、その演奏や演奏技術に自在さと強靭さがあるからに他ならない。
関島や桜井はむろんのこと、ドラムスの久下や管楽器の中尾のあらゆる傾向や演目に即座に対応できる技術には目を見張るものがある。
STRADAの音楽はいわゆる「ワールド ミュージック」の洗礼を受けたこの国の聴取環境にとっては、―見ありふれたものに写るやもしれないが、果たしてどっこいそうではないのである。

(*1)篠田は80年代後半から長谷川宣伝社といラチンドン屋でのサックスの演奏を生業の一つとしていた。
(*2)南米チリで起こった<新しい歌=ヌエバ・カンシオン>と呼ばれた音楽運動の旗手。
1973年にチリのサンティアゴでの軍事クーデターで逮捕・虐殺された。

<STRADAのノマド>
STRADAは神出鬼没だ。だから、いずれかの場所で皆さんに目撃されているはずだ。
八重山民謡の第一人者大工哲弘や元祖フォークシンガーの高田渡のサイドメンパーとしても演奏を重ね、テレピ朝日の二ュース23に出演したりしているし、労働者の祭典である5/1のメーデーの中央会場に忽然とその姿を現していたりもするからだ。彼らの活動の「ノマド」性=遊牧牲には驚嘆させられるぱかりだ。
STRADA以外でのそれぞれのメンパーの活動内容や活動範囲をここでいちいち細かくお伝えするには、紙面がいくらあっても足りなので、割愛させていただく。―部ではあるが、別紙のディスコグラフィーを参照されたい。
STRADAのWebサイトものぞいてみたらいかが(園田佐登志)。

STRADAのWebサイトのアドレスは下記。
http://www.linkcIub.or.jp/~skri/index.html

(*)筆者は文京区在勤のオーディオ・ピジュアルアーティスト>