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タイトル2000/10/21■032 最近観たライヴ
記事No132
投稿日: 2013/10/05(Sat) 10:02:11
投稿者管理人
[最近観たライヴ]
 ここのところ酔っ払って寝てしまうのでメモが滞ってる.忘れぬうちに書き留める.
 10月13日,武蔵小金井ART LANDで小間慶太ソロ.エレアコギの弾き語り.声は青くて良し.初盤乗りが悪いも中盤から終盤にかけて良し.歌詞は日常の小規模シュール化.曲はやや一本調子(maj7使いすぎ).芝居関係者で盛況.
 10月15日,東高円寺U.F.O.CLUBで「Fall to heaven...PSYCHEDELIC, TRANCE」なるライヴ.2バンド出演.サイケとかトランスとかいうのはお香やホワイトライトの類の小道具で演出する雰囲気の記号にすぎぬ.客筋はよく分からないが盛況.
 沖縄のUZU(渦)は三人組が一人ずつリレー方式で演奏,繋ぎ目のみデュオ.スペースミュージックのノイズ添え.エフェクタを安直かつ過剰に使用(間断ないディレイ・リピート,延々と続くサンプリング・ループのバッキング等).演奏時間も含めて凝縮するに如かず.
 higherはエレキギター二人+ドラムスによるジャーマンプログレ風インスト.久下惠生が1曲のみ珍しくもサンプリングドラム?(アンプの陰で見えず)を演奏.行きそうで行かぬややもどかしいアンサンブルにつき今後に期待.

[リテラシー]
 谷岡一郎『「社会調査」のウソ リサーチ・リテラシーのすすめ』(文春新書)と菅谷明子『メディア・リテラシー ―世界の現場から―』(岩波新書)を併読.
 literacyというのは本来「読み書きの能力」のことだが,転じて「対象を批判的に理解するとともに活用する能力」といった意味で使われているようだ.
 谷岡本は日本における「社会調査の過半数は「ゴミ」である」とする挑発的な内容で,豊富な実例に基づいて「ゴミ」を見分ける「リサーチ・リテラシー」の必要性を説く.例えば,共に対象を無作為抽出してアンケートを実施した筈なのに,憲法に関する社会調査の結果が朝日新聞と読売新聞とではなぜ正反対になるのかといった事例が,具体的に検証される.公開を前提とした情報データベース作成のプロジェクトに自ら係わり,「ゴミ」を減らそうとしている著者は「少々過激」だが,言っていることは是々非々で,特に文春色が強いわけではない.
 菅谷本は「メディア・リテラシー」教育の先進国(英国・カナダ・米国)からのレポート.例えば,ある学校では香水の新製品の企画からパッケージデザイン,実際の広告制作まで生徒にシミュレイトさせたり,またある学校では音楽ビデオを分析し,実際にその手法に倣ったやり方で生徒にビデオ作品を作らせたり,といったことまで行われているのにはちょっと驚く.というのは,それらが専門学校ではなく普通の高校の「メディア・リテラシー」の授業の一環だからだ.目的は作品を作ること自体ではなく,作品制作を通じてメディアへの「批判的理解」を深めることにある.自身もリテラシー・プロジェクトの創設メンバーである著者は,メディアを必ずしも否定的に捉えてはおらず,あくまで前向き.
 というわけで,両著のスタイルや性格は異なるが,リテラシー教育の必要性を説いている点は共通する.
 しかし,大勢としては日本でリテラシー教育なんて無理なんじゃないだろうか.
 「知らしむべからず,由らしむべし」が本音のせいか,そもそも国が情報公開に消極的なんだから,「情報がどのように提示されているかを評価する、関連のある情報とないものを取捨選択し、事実と意見、偏向と客観性を区別する....といった批判的思考を育成する」環境など望むべくもないと思う.
 企業やマスコミも自分たちに都合の悪い情報は平気で隠蔽するし,アカデミックな研究者たちだって「データを公開し、使いたい人に使わせること」を渋る.
 お上やマスコミが垂れ流す情報を鵜呑みにして良しとする人にはリサーチ・リテラシーもメディア・リテラシーも不要だろうけど,いいように騙されたくない向きには自衛のために必要であるから――著者たちそれぞれのプロジェクトの発展には期待するものの――当面は独習するしかないんだろうな....と,かつて卒論のために「ゴミ」な社会調査をでっち上げた者としては,反省を踏まえて思うのだった.
 真面目なことを考えたらマジに頭が痛くなりました.

2000/10/21 GESO