タイトル | : 2000/11/22■037 些細なこと |
記事No | : 137 |
投稿日 | : 2013/10/05(Sat) 10:05:23 |
投稿者 | : 管理人 |
[communication breakdown] livedoorのメールシステムダウンに関して,友人からこういう意見が届いた.
> 通常のペースでアクセスが増えてゆくなら、「混雑中」のメッセージを出すなどして、システムがダウンするほどの負荷を避けるようにしている
筈であるから,今回の「外部からの大量のメールの流入によるサーバシステムの過負荷」は,
> 通常のユーザによる負荷ではなく、クラッカーにDoS攻撃でも仕掛けられたのでは無かろうか。
と.また,
> 真相はどうあってもプロバイダは明かさないだろう
とも. なるほど,そうかも知れない. こんな時代やさかい. この種のトラブルがこれからも起こることは,恐らく避けられないだろうし,絶対的な対策というものも存在しないだろう.たとえ国が一括して通信網を支配する世界になったとしても(そんな世界の方がよっぽど嫌だが). 一般ユーザが採れる対応策は,複数のプロバイダと契約して,A社のサーバがダウンしたときはB社のを使う,ぐらいだろうな,現状では.
[些細なこと] 些細なことに腹が立つ. 傘を無頓着に振り回して歩いてる奴だとか,コンビニで投げつけるように金を置いてく奴だとか,灰を撒き散らしながら歩き煙草してる奴だとか. シリアルばあちゃん(『漫画サンデー』連載のサイコ・ギャグ.当然アレのパロディ)だったら,こんな些細な理由でも相手を殺しちゃうところだろうが,現実は,そんなことで怒ってもしょうがないじゃん,どまり....でも腹は立つ. 気遣いに欠ける行為を見ると腹が立つようである. ところで,いつも思うのだが,「気遣い」の字面は「気違い」に似てる.この単語を見るたびに気になってしょうがない. かと言って,済し崩しに容認されたかのような「気使い」なんて表記は,到底許せん! とまた,些細なことに腹が立つ.
[ミステリ] 猫も杓子もミステリ,と,やや揶揄的に言われている昨今である.確かに,もう何年も前からミステリブームだ. だが,面白い小説がいわゆるミステリの分野からしか出てきていないのも事実だと思う――あ,キャラに頼って過去の自作品を縮小再生産してるだけのミステリ作家は論外よ,当然. なぜ面白い作品が多くなるかといえば,制約が多い分野なだけに,先行作品との「闘い」を余儀なくされ,競争〜淘汰が進むからだ,と考えれば,不思議なことはない.少なくとも,活況を呈している原因の一つがその制約内での「競争」にあることは,確かだろう. 実際,「制約」とは無縁に,自分の「内面」とやら(んなもん,ねーよ)をダラダラ書き連ねただけの純文学よりも,全然ヴィヴィッドだもの. 無論,反論もあるだろう.確か笠井潔もちょろっと書いてたな....現代人が「人間」を失ったゆえに「人間が描かれていない」ミステリをもてはやすようになったんだとかなんだとか....この人のロジックは『テロルの現象学』の頃からちっとも変わってないな.一種の倒錯. まぁ,それはともかく,俺は面白い小説が好きで,それがミステリに多いというだけのことである.別にジャンルで選んでいるわけではない.だが.... 例えば,飛鳥部勝則『砂漠の薔薇』(カッパ・ノベルス)は,ごく簡単に言えば首切り殺人もののミステリであるが,ここではもはやトリックや動機は大した問題ではない.ミステリ的には掟破りなのに,古典に回帰しつつ,着地点は現代だった,みたいなアクロバットを,メタでも叙述トリックでもなく,「本格」の範囲内で成立させた力業には,後味の空虚さを割り引いても,感心してしまうのだ.少なくとも,清涼院流水のようにインフレ的にミステリを「終わらせる」やり方よりも,古いタイプの読者としては好ましく思う.同じように「終わらせる」ことを考えてるにしても. 本作品で気に入ったフレーズ(誰かやってたな,こういうの)は,p.219下段. 「槍さん、槍さん、帰ってきて」 読んでないと訳が分からないわね.... あ,決してお薦めしてる訳じゃないです.好きな人は放っといても読むでしょう. ところで,飛鳥部本の推薦文は竹本健治が(きっと自分がこういうのを書きたかったんだな,と丸分かりの)熱烈なのを書いてるのだが,いわば商売敵の作品を素直に絶賛しちゃうナイーブなところが,ミステリ作家(特にマニアックな作家)の方々の美徳だと思う.内輪誉めというよりも,ミステリ全体への愛情に裏打ちされてるのですね.こういうところは,音楽関係の方々には欠けてるような気がする. 話は飛んだり飛ばなかったりするが,俺は日本の(主として)音楽ライターが多用する「リスペクト」という言葉が大嫌いである.これって,対象を持ち上げているようで,実は矮小化するニュアンスを含んでるんじゃないか(片仮名表記の「センセイ」みたいな感じ).日本語だったら「尊敬」(「ソンケー」じゃない)とか「敬愛」でいいじゃない.「俺は藤本卓也を尊敬してる」,というのが正しい語法であろう,
2000/11/22 GESO
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