タイトル | : 2000/12/27■040 いきなりガソリンかけられて焼き殺される人もいる嫌な年の瀬 |
記事No | : 140 |
投稿日 | : 2013/10/05(Sat) 10:07:09 |
投稿者 | : 管理人 |
[人称代名詞の問題] 考え始めたきっかけは,下手な翻訳小説を読んだときとか,洋楽と邦楽の歌詞を較べたときに感じた「違和感」にあるのだと思うのだけれど. 例えば,"And I Love Her" をサラ・ヴォーンが歌うとき,タイトルも歌詞も"And I Love Him" に変えなければならないのって,不自由なんじゃないだろうか. おそらく,英語で女性が "I love her." と歌ったら,一面的にレズビアンの歌とみなされてしまうのだろう. 逆に英語の側から見れば,日本の「歌謡曲」(とりわけ演歌やムードコーラスもの)はひどく倒錯的なものに見えることだろう. だが,俺は逆にこの倒錯性こそ,日本語で歌うことの数少ないメリットの一つだと思う. 男が女になって男に向かって歌ったっていいんだし,女が男になって女に向かって歌ったっていいんだし,男がそのまま男に向かって歌ったっていいんだし,女がそのまま女に向かって歌ったっていいんだし,男が女になって男になった女に向かって歌ったっていいんだし,元・女が元・男に向かって歌ったっていいんだし....あらゆる多型倒錯を演じる可能性が開かれている.全く中性的なラブソングだって可能である.日本語の人称代名詞の多様性は,こういう面にこそ生かされるべきだと,あたしは思うのよ(悪い例: 最初から騙すつもりのネットおかま). もちろん,代名詞を置き換えただけでは物語は成立しないから,歌詞のディテールで,歌い手が(その歌のなかで)男なのか女なのかおなべなのかおかまなのかetc.を暗示しなければなるまい.そこは作詞家の力量次第. 実例を挙げて説明すればいいんだろうけど,長くなるからよす.手元に歌謡曲のシングル盤があったら分析すべし. J-POPはその点,むしろ凡庸で馬鹿正直な歌詞が多くてつまらない.大多数は,紋切型でありながら個性を発揮しえた優れた歌謡曲の作詞家たちの足下にも及ばない. 「こんな歌詞だったら誰でも書ける」と馬鹿にしたって,いざ書いてみると誰も阿久悠やなかにし礼や橋本淳にはなれないことは,俺自身経験上知っている. 歌詞の分析は評論家の仕事だと思うが,この辺を扱った文章は寡聞にして知らない.御存知の方は教えてほしい.
[いきなりガソリンかけられて焼き殺される人もいる嫌な年の瀬] 今年ももう終わり近いですが. 年末年始の感慨とは無縁の生活を送ってきて久しいけれど,一応来年から,幼少の頃はまだ辛うじて「夢の」という形容詞つきで語られてた21世紀が始まってしまうわけである. いまだに「夢の21世紀」と思える人は幸せですが,まさかそういう人いないでしょ? 多幸症かボケでもない限り,とてもそうは思えないっす. おそらく,来年もろくな年にはならないでしょう,マクロ的にもミクロ的にも. 今年最高だった方は,来年は落ちていくほかありません.今年最低だった方は,来年はひょっとしたら這いずり上がれるかもしれないし,少なくともこれ以上落ちることはないわけですから,まだ未来があります....って,なに占い師してるんだ俺は. まぁ,皆さまにとっても私にとっても,来年は今年より少しでもましな年でありますように(と祈りつつ年内にまた書くかも知れない.すまぬ).
2000/12/27 GESO
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