タイトル | : 2001/02/14■043 私という本人 |
記事No | : 143 |
投稿日 | : 2013/10/05(Sat) 10:09:36 |
投稿者 | : 管理人 |
[私という本人] 先日,NTVの深夜特番で,解離性同一性障害(いわゆる多重人格)の少女のドキュメンタリーが放映されていた. 日本には数少ないとされるこの病気の患者に,1年以上密着取材した労作だが,この16歳の少女の場合,番組完成時点で43個の人格が併存していたらしい.取材開始当初は37個だったというから,増え続けたわけである(中には消えた人格もあるようだが). 案の定,幼少時に父親から受けた性的暴力を含む虐待の影響が大きいという.両親は既に離婚し,現在は母親と妹との3人暮らしで,父親とは民事・刑事両方で訴訟中. 更に,取材期間中,3歳下の妹(やはり父親の虐待を受けていた)も同じく発病,彼女の人格は現在7個.母親は疲弊しきっている. 本でしか読んだことのない正に典型的な症例の数々が,テレビらしい情けない生々しさで報じられていた. 悲惨だ――が,面白かった.不謹慎と言われても,面白いものは面白いのだからしょうがない.代理人格同士の姉妹喧嘩なんて,なかなか見られるもんじゃないもんねぇ.担当医にとってもおいしい素材に違いない――最初のカウンセラーはいくつかの人格に不評だったようで首になり,後半は別のカウンセラーに替わっていたが,最初の先生,お気の毒. 解離性同一性障害なんて詐病ではないかと,その実在を疑う向きもあるけれど,患者自身に「演技」の自覚がないのであれば,詐病だろうと本当の病気だろうと,実際上大差はない.いずれにせよ,已むに已まれぬ現実逃避の一手段なのだろう. 問題は,人格のヴァリエーションが増えても問題は解決しない――むしろ,人格が増殖することによって生じる問題が,そもそも何が問題だったのかを分からなくしてしまう――ということなのではないだろうか.結局,代理人格たちを統合する人格が現れて,平穏な状態をもたらすという「物語」をでっちあげない限り,落としどころがないというのが現状なのでは. 今回のドキュメンタリーの場合,まだオトナの人格は現れておらず,幼児退行的な人格が多かった.自傷癖のある娘も,暴力をふるう娘も,生意気な少年も,当然のように,いる.とても紋切型.問題の父親そっくりの人格もいたが,別の人格に消されたらしい.43もあるという人格のすべてが紹介されていたわけではない――中には放映不能の人格もあるだろう――が,恐らく,本人(とは何か?)が持っている感性や知識を超えた人格が現れることはないという限界を感じた.本人(とは何か?)の精神的成長(とは何か?)に伴って,調停役の人格(とは何か?)が現れて,カウンセラー(とは何か?)と協力してなんとかしてくれる(という,上記の物語?)を待つしかないのだろうか. ともあれ,画期的な治療法は,まだない. 放映された家族の日常は今なお進行中である(多分). 続きが見たい.毎日とは言わないが,四半期おきぐらいに放映してほしい.
[良い映画・悪い映画] おバカ映画かと思って観に行った『ギャラクシー・クエスト』,笑いあり涙ありSFマインドありのマジな傑作ではないか.『スタートレック』のパロディだけど,こっちの方がずっと良い.パッと見で分かる役者はシガニー・ウィーバーぐらいだが(でもブロンドに胸寄せ上げで『エイリアン』のイメージとは正反対.怪作『スノー・ホワイト』の老婆メイクにも驚いたが),他の役者も皆好演.監督のディーン・パリソットって人は初めてだが,巧い.ツボを押さえたSFXも,最近の過剰なSFXに辟易してる向きには溜飲が下がる. 一方,そそられる予告CMに騙されはいけない愚作が『クリムゾン・リバー』.虚仮威しの映像を並べたてる前に,原作読まなきゃよく分からない穴だらけの脚本をどうにかすべきだろう.マシュー・カソヴィッツっていうこの監督,社会派なんだそうだが,どこが? ジャン・レノも見る影もなく,トホホ....
2001/02/14 GESO(添付ファイルを見れない方はご連絡ください)
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