タイトル | : 2001/02/17■044 続・私という本人 |
記事No | : 144 |
投稿日 | : 2013/10/05(Sat) 10:19:21 |
投稿者 | : 管理人 |
[あおきあい問題] あおきあい(現・青樹亜依)のアルバム――といっても,寄せ集めだが――が遂に出た.長年注目してきた者として,大変感慨深い. 俺はCDを含む全シングルを持っているが,カセットまではフォローしてなかった.よって,そのカセットからのナンバーを含む今回のベストCD『アンドロメダの異星人』は買わざるを得なかったわけである.なんか癪である. どういう人なのか説明すると長くなるので大幅に省略するが,山本リンダの物真似がうまい,かなり歳をくったお姐さんである.歌手業よりも「ミラクルパワー」(一種の手かざし)を駆使する「神霊研究家」としてのほうが有名なのかもしれない.目がイってる.... 十数年前には,しばしばTVの深夜番組に出ていたし(ビデオクリップも流れた.曲は「四次元酒場」),松坂屋カメラとかいうマイナーなカメラ屋のCMにも出ていたのだが(録ったビデオがどこかにあるはず),最近はとんと見掛けない. 実は,俺の仕事先の近所(南青山)のカメラ屋の2階で,彼女は占いをやっている.ここは,一見したところ普通の町のDPE屋であるが,ショーウィンドーに彼女の全シングル,ポートレイト,等身大のポスター等が飾ってあることに気づくと,不気味さに打たれる.ちなみにシングルの多くはこの店で直接購入したのだが,本人には会っていない.2階の「ミラクルパワー超神霊占い研究会」(という名称なのだ)を訪ねれば会えるはずだが,さすがに怖くてまだ伺ってません. ところで,俺の積年の疑問は,あおきあいと三矢恵子(「母ちゃんにしかられた」c/w「やきとりソング」というシングルを出している)は果たして同一人物なのかどうか,ということである.多分,違うだろうな.でもひょっとしたら....と妄想しているのだが,裏は取れていない.湯浅学も知らないようだ.
[続・私という本人] 例の多重人格患者のテレビ番組のことを書いたら,同じ番組を見た人と見なかった人からRESをもらった. まず見た人が提起した問題を勝手に整理する(「 」は原文を引用.注記と< >書は俺の単なる思いつき). 1 児童虐待自体は昔からあったはずなのに,最近になってそれが多重人格の原因?と化したのはなぜか:「これは家族の中味が変ってきたからだろう。どういう風にかってのはうまく言えないけどなあ。これは戦後民主主義や核家族が起こした変化だろうか。昔は報告されなかったのかな。疾患単位として考えられなかったのかな。」 <被虐待者は常に逃げ場を必要とする.多重人格もその選択肢の一つだが,日本にもその症例が現れるようになったのは,人間を「個人」を単位として扱う西洋の流儀が定着した結果だろう(かつて「個人」よりも「集団=社会」を重視して生きていた被虐待者たちは,例えば主要な逃げ場として宗教を創造した).> <多重人格とは,一個の肉体の中で複数の個人がそれぞれの役割を時間を分け合って演じている状態であろう.西欧よりも米国に患者が多いのは,米国における「個人」が西欧よりもより実務的かつ部分的な役割を担う存在として成立していることに影響されているのではないだろうか.> 2 多重人格患者に女性が多いのはなぜか(注: 実際そうらしい):「フロイト流はお嫌いでしょうが(注:嫌い.ラカンは特に嫌いだ.間違ってるし)、男だと幼児期に母との一体関係に父ががつんと割り込んできて人格形成がはじまるというんだろうが、ということはまあ男は最初からそういう運命にあるのか? 女ってのは割と成人してまで母と一体感をもっていて、最初から父を疎外してるみたいなとこがある。その幼少期に父がいきなりオトコとしてあるいは暴力的に介入してきたら、やはり男とは違う反応になるんだろうな。」 <理屈は幾通りも考えられるが,憑依と脱-社会の能力において女性は男性を凌いでいると思う.> 3 詐病かどうかという問題:「ちょっと虚言ぽいよなあ。頭はいいみたいだけど。役者とかも舞台上では別の人格を演技するだろ。それをまた自分がうまくやってるかどうか評価してるところが違うけど。ヒロ(注:多重人格の少女)なんかは他の人格がうまくやってるかどうか評価してないでしょう。代わりにもうひとり人格をコントロールできるっていう女になったりして。そこの差だな。基本人格ヒロは意識的にそれを評価したがらないんだよ。だからカウンセラーみたいに冷静にそれぞれの人格を見ようとする奴を避けて失神してしまう。」 「「自分を使ってお人形遊びしてる」って感じだよねえ。自分で治りたくないんだろうな。確かにさ小さい頃に命の危険まで感じさせるような親と一緒だったっつうのはお気の毒だし、おやじが悪いのは確かだけどね。」 <前にも書いたが,詐病かどうかは大した問題と思わない.例えば仮病が「身体化症状」を伴った場合,それを仮病といって非難してもあまり意味はない.「病気」にあくまでも器質的要因を求める立場とは対立するだろうが....でも原因-結果なんてものはソモソモ無いんだし....なんて言っちゃあ身も蓋もないけど.> 番組を見なかった人の意見より. 「私も、なれるものならなりたい。そういう症状を都合よく使うことってできないのかな。」 <また詐病の話になるが,自分で自分の嘘を信じることができれば本当に病気になるし,信じることができなければ仮病で終わる.多重人格は,症状を自分に都合よく使っているわけだが,そのようにしていることについての自覚がない状態であるから,なろうとしてなったとしても,なろうとしてなったことを忘却しなければ成立しない.> <「自分以外のものになること」の有り様は,自覚的で能動的な「演技」と無自覚的で受動的な「憑依」との間の無数の段階のどこかに位置づけられる.演技と憑依の拮抗関係に抗して「自覚しつつ憑依される」という無体なことを欲望するのが巫女や芸人たちだろう.> まぁ.俺の場合は,多重人格よりも多重身体を希望する程度にプラグマティックである.バスタブにお湯を注いで3分でクローン人間ができあがれば大変便利なり.
2001/02/17 GESO
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