タイトル | : 2001/05/03■049 益体もないこと |
記事No | : 149 |
投稿日 | : 2013/10/05(Sat) 10:24:10 |
投稿者 | : 管理人 |
[ハンニバル] 『ハンニバル』を観る. 原作のヴォリュームからして,忠実な映画化はもとより困難. カットすべきところはばっさりカットしつつ(クロフォードも,ヴァージャーの妹も登場しない――ちょっと寂しい),見せ場を過不足なく盛り込んで手際よくまとめたリドリー・スコットは,やはり巧い監督ではある.あまり審美的じゃないけど. ジュリアン・ムーアは健闘してたと思うが,どうしたってジョディ・フォスターと比較されざるを得ず,ジョディの方がやはりハマリ役だから,気の毒ではある. アンソニー・ホプキンスには,今後死ぬまで「レクター」が付いて回るのだろう.当たり役というのも,いいんだか悪いんだか. それにしても,原作と大きく変わったあの結末はどんなもんか...原作の馬鹿っぽいハッピーエンド?の方がまだましなんじゃないかしら. 今ひとつカタルシスに乏しくて,映画としては『羊たちの沈黙』の方が出来が良かったと思う. 結末が変わったことで,続編――作らないに越したことはないが,きっと作っちゃうんだろう――の内容も,小説と映画とで変わらざるを得ない筈だが,いずれもどんどん「怪作」化していくことを期待するほかない. 映画の続編は東京が舞台になるとの噂...悪魔の毒々レクター東京へ行く,ですか.
[益体もないこと] 幼稚園の頃かもっと前,アシナガグモの脚を全部もぎ取ったらアシナガグモじゃなくなるのか実験したことがある. もぎ取って転がしてみたそれは,単に丸いモノにも見えるが,やはり脚を失ったアシナガグモとしか思えなかった. もちろん,最初からアシナガグモだと知っていたからそうなのであって,知らなかったらそう思わなかったかもしれないが,知らなかったらそもそも実験しようとも思わなかった筈だ. 多分このとき,たとえ無自覚であっても何らかの仮説を持たずに実験はできない,という当然のことを知ったのだろう.←仮説なんて言葉は当時知らなかっただろうが. 今は無益な殺傷はせず,「クモの全身を頭(含胴体)+脚8本と考えれば,そこから脚8本をもぎとれば「九体不満足」――正確には「8/9体不満足」と言うべきか」などと考えるに留めている.←こんなの,思考実験じゃないな. ♪赤蜻蛉の羽を取ったら柿の種,とか歌ったのは「あのねのね」であるが,こんな歌詞でも少しは詩情を帯びて聞こえるところをみると,詩というのは要するに比喩の技術ということか.←一面の事実ではある. ――こういう益体もないことばかり考えてて,だめだこりゃと思う.普段は実務の人なんですけど.
2001/05/03 GESO
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