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タイトル2001/09/25■060 健康
記事No160
投稿日: 2013/10/05(Sat) 10:30:01
投稿者管理人
[健康]
 年に一度の半日人間ドックの結果,肝臓系ではビリルビン値が1.0mgでB,腎尿路系では尿潜血が見られB,胆嚢にポリープがあってC(ここ数年間直径3mm程度で変わらず),あとは全部Aだった.要経過観察の範囲だから,いい線行ってるじゃん,まだまだ飲めるぜ!と思う.ただ,視力は順調に落ちてて,両眼とも裸眼で0.1を切った.特に右が悪く,眼鏡をかけても0.7(左は1.2).ガチャ目は疲れる....

[見聞録]
 方針を変え,今後は,良かったものも悪かったものも記す.省略するのは,どうでも良かったもの/忘れたもの/既に別途書いたもの/自主規制したもの/書くのが面倒臭いものということになる(が,先のことは分からない).
☆『キス・オブ・ザ・ドラゴン』(監督クリス・ナオン)CGとSFXだらけの映画に食傷気味の向きには痛快.余りにも杜撰な脚本(誰よ?ベッソンだ)には目を瞑り,ジェット・リーのギミックなしのカンフー・アクションをひたすら堪能するのが正しい見方でしょう./『ザ・セル』(監督ターセム(って姓?名?))こちらはCG使いまくり.サイコさんの「深層意識」にダイブするという設定は最早陳腐だし,脚本もこれまたどうしようもないが,往年のシュールレアリトたちが見たら地団駄踏んで悔しがりそうな映像がてんこ盛り.シュールの商業映画化ここに極まれりという感じで,一見の価値あり./『L.A.コンフィデンシャル』(監督カーティス・ハンソン)・『アメリカン・ビューティー』(監督サム・メンデス)この2作品の共通点は,アカデミーを受賞してること,ケヴィン・スペイシーが出演しててどちらでも殺されちゃうこと,米国の暗部(笑)を描いていること.こんな作品にアカデミー賞あげるところに,米国芸能界の度量を感じたりもする.米国贔屓のお友達に,前者を「痛快サスペンス映画」,後者を「爽やかホーム・コメディ」と偽ってお薦めし,嫌あぁな気分にさせてあげるのも一興./『闇の中で子供』(舞城王太郎 講談社ノベルス)岩井志麻子が「岡山ホラー」を勝手に立ち上げた如く(本人の方がホラーだが),舞城は「福井ノワール」を立ち上げてしまった.しかも「トンデモ・ノワール」だ.ミステリという足枷が無ければただのパンク小説になってしまっただろうという点で,小説には制約があった方がいいと思わされるが,それにしてもきわどいバランス.前作『煙か土か食い物』から読まなければ無意味,3作目が出ることも必至で,困ったもんではある./『ラフミュージック宣言』(大熊ワタル インパクト出版会)大熊の音楽はラフというよりも器用貧乏だと思うけど.作者の見解に賛同するかどうかはともかく,本書の最大の美点は,この手の音楽批評集としては珍しく文章が具体的かつ明解なことだ.実演者の強みだろう.ラカンだのなんだのを援用した観念的な批評にはもうウンザリなもんで./『パラノイア・ストリート』(駕籠真太郎 メディアファクトリー)2巻まで刊行中.探偵コンビが「なんでも測量する町」だとか「何にでも管を使う町」だとか「何でもバラバラに分解する町」だとか,一芸に秀でた(?)町を旅する連作もので,諸星のゼピッタ・シリーズみたいなもん.駕籠にしてはヌルいが,少しは一般受けしそう./それにしても,高橋しん『最終兵器彼女』って,駕籠の一連の少女兵器ものと,会田誠『ミュータント花子』に似すぎてないか?パクリだろ(うんと希釈されてるけど).そうでないとしたら,セーラ服の女子高生を兵器に改造したいという「欲望」の共時性について,戦闘美少女研究家の斎藤環センセイあたり,何か屁理屈つけてくれるだろうか?(やっぱしラカン使って?)/『スウィンギング・アジス』(メタカンパニー配給)1969年〜1978年のエチオピア・ポップスのオムニバスCD.同時代の日本の歌謡曲・歌謡ロックとの類似性はちょっと衝撃的.旋律やコブシがもともと日本民謡に似てるのだろうな.B級GS(具体的には,ザ・ボルテイジなど)を彷彿させる曲もあり,黒沢進なら「60年代末世界同時GS現象」の一例に挙げそう.

2001/09/25