タイトル | : 2001/11/20■065 オテサーネク |
記事No | : 165 |
投稿日 | : 2013/10/05(Sat) 11:43:04 |
投稿者 | : 管理人 |
[オテサーネク ―妄想の子供―] 不妊に悩む夫婦が,人の形に似た切り株を赤ん坊(男の子)に見立てて育てるうちに,それが人間モドキに成長し,動物や人間を食らって巨大化していく.持て余すが殺すには忍びないので地下室の石炭箱?に幽閉するが,秘密を知った同じアパートの女の子が餌=アパートの住人を次々に与え,遂には....というチェコ映画. 古臭いが正統的なホラー映画と言えなくもない.演出もかなり正統的だ. それだけに,この監督の映画を初めて観る人であれば,次のような場面に違和感を覚えることだろう. (1) 突然動きがぎこちなくなる切り株赤ちゃんのコマ撮り特撮場面,(2) 女の子の父親が観るテレビに執拗に登場する,生肉だのアイロンだのがやはりぎこちなく動き回るコマ撮りCMの数々,(3) 口許や食材がグロテスクにクローズアップされる頻繁な食事シーン,(4) カタルシスを与えない曖昧な(だが恐らくハッピーではないことを暗示する)結末――等. だが,これら違和感を与える部分こそがヤン・シュヴァンクマイエル監督作品の特徴である――というか,こうした「シュヴァンク印」が無ければ,この映画は凡庸なホラー映画に終わった筈だ. (1)が昨今の「本物っぽい」特撮技術を用いて描かれたならば,それはこの監督の一貫してアナログなコマ撮りの技法を否定することになるし,(2)のCMは,彼の旧作品群の変奏であり(つまりは監督自身のCMでもあり),(3)や(4)もまた,彼の初期からの常套手段である(関係ないが,食い物を不味そうに描く手腕は,ビッグ錠並みです). つまり,シュヴァンクマイエルは,自らの伝統的な手法をもってこの作品を独特なものに仕立て上げているわけだが,言い換えれば,その手法こそが,この凡庸な物語を辛うじて独特な作品として掬い上げているということでもある. 彼の昔の作品では,これほど手法と主題の間に距離を感じなかった気がするのだが.... 2000年のこの新作は,チェコの民話を基にしているそうであるが,俺はつい「ネタに困ったら昔話に戻れ」という竹熊健太郎だったか喜国雅彦だったかの創作理論を思い出してしまった. 本作のみならず,シュヴァンクマイエルの近年の作品に今イチ必然性が感じられないのは,この監督が東欧自由化後,政治的な「敵」を失うと同時に創作の主題を見失い,新たな主題を模索している状態にあるせいなのかも知れない. 1990年の『スターリン主義の死』は,恐らくその分岐点にある作品だったのだと思う. ちなみに,機会を逸して記してなかったけど,ここ数か月間に観た映画の中では『ウォーターボーイズ』が一番楽しめたなぁ,素直に....
2001/11/20 GESO
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