タイトル | : 2001/12/25■067 サイケな街 |
記事No | : 167 |
投稿日 | : 2013/10/05(Sat) 11:44:06 |
投稿者 | : 管理人 |
[そんなものはない] かねがね違和感を感じてる言葉の一つに,音楽雑誌等で今も見掛ける「日本のサイケデリックロック」という表現がある. というのは,内容の是非はともかく(ティモシー・リアリーなどはただの馬鹿学者だと思うが),日本には和風「サイケ」はあっても「サイケデリック」は存在しなかったと考えるからである. 大前提: サイケデリックロックはドラッグ文化(期間限定)がなければ存在し得なかった. 小前提: 日本にはドラッグ文化はなかった. 結論: 故に日本にはサイケデリックロックはなかった. 以上. 要するに,ドラッグを介して演る方も聴く方もラリってる状態で最大の感覚効果がもたらされる疑似共同体音楽,というのが適切な解釈であって,演奏者側の機材や技法のみで成立するものではない.そこを「日本の」サイケデリックなどと言って,情緒的に誤魔化すところが,他の輸入文化の受容の際にも見られる日本的な精神主義ってものなんだと思う. 演奏者と聴衆が共有するのは「ドラッグのもたらす幻覚」という幻想に過ぎない点では,どっちもどっちではあるが,妊娠と想像妊娠ぐらいには異なる. 音楽とドラッグの親和性という点では,近年のクラブシーンの方がまだしも欧米とのギャップが少ないんじゃないか――「変革」よりも「トランス」を具体的な目的とする実用主義は,若者のグローバル・スタンダードだし――何言ってるんだ俺は.
[日本名ぽた山はり夫(意味なし)] 『ハリー・ポッターと賢者の石』(監督クリス・コロンバス)あらかじめ成功を約束された天才魔法使い,という点で買われるべき反感を,性格の良さと生い立ちの不幸さが相殺して,ちょうどいい按配の秀才におさまっている眼鏡の可愛い男児.ハリウッド映画の割には派手さ抑えめだし,ミステリ的な趣向もあって,良くできた作品だとは思うが....小説を読まないうちに観て「シマッタ」と思ったが,結構原作には忠実らしい.だが,それだけに?映画としては冗漫すぎる.メリハリつけてくれ./『殺し屋1』(監督三池祟史)あの漫画(傑作!)を映画化しただけでも偉いと思い,結構期待して観たんだけど....この監督の作品は『漂流街』『天国から来た男たち』ぐらいしか観てなくて,他の作品も観たいし(『アンドロメディア』を除く),これだけ量産してる(ったって昔のロマンポルノやピンクの監督に較べればささやかなものだが)中には面白い作品もあるのかも知れんが,観た限りでは,テンポの悪さ・演出の下手さ・落ちの決まらなさという点で共通しており,サブカルの連中が過大評価してるだけなんじゃないの?という疑問が湧く.ハラワタ映画としても,ライミやウォーホルの方が余程美味しい.なんか,モツ・焼肉大食い大会って感じで,量はともかく質はどうよ?浅野忠信目当てに間違って観に来たムスメたちを確実に嫌〜な気分にさせるであろう点には好感が持てる.渋谷やお台場でも上映してるようだが,場所の相性からいって,観るなら断然歌舞伎町ジョイシネマでしょう.
[年末年始] 『このミス』『本格ベスト10』『週刊文春ベスト10』が出揃い,他にも『ダ・ヴィンチ』や『ダカーポ』も恒例の年間ベストを発表し,参考資料は充分なので,膨大な未読リストの中から良さげなミステリを選んで,年末年始は読書に耽りたいものである. と思いつつ,実際に買い込んでるのは1年以上前の古本が多いのですが. 今日は『スティームタイガーの死走』(霞流一 ケイブンシャノベルス)を読了.結末に呆れる.が,許す.
2001/12/25 GESO
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