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タイトル2002/08/25■085 ほいほい
記事No185
投稿日: 2013/10/05(Sat) 14:27:03
投稿者管理人
[パソ困補遺補遺]
 先日イカレタHD(40GB)を,何とかデータ保存用にでも使えないかと思い,スキャンディスクをかけたりフォーマットしたり色々やってみたのだけど,破損クラスタだらけでどうしようもなく,断念.
 一応全空き領域に「0」を上書きしたうえで(これはできた)棄てることに....
 ああ勿体ない.

[倉地久美夫ライヴ]
 8月23日,「オズディスク夏祭り 夜の甲子園」というオールナイトコンサート(途中まで).
 出演者は多数いたが,目当ては倉地久美夫のソロのみ――インキャパシタンツも見たかったのだが,出番が翌日午前4時すぎだったので諦め,1時前に帰宅.
 倉地の演奏は,やや固い感じなれど,上々.歌唱に説得力があるので皆ついつい普通に聴いてしまいがちだが,実はどの曲をとっても(歌詞も展開も)「変」としか言いようがなく,不条理さに笑いがこみ上げる.
 他に印象に残ったのは,4年振りに聞いた寒空はだかの「東京タワーの歌」.名曲ですね.

[鈴木昭男ライヴ]
 8月24日,鈴木昭男『もがりの音 III』昼の部(四谷 コア石響).辛うじて座れたが,立ち見も出る満員状態.
 俺にとっては,『たどりの音楽展』(池袋 スタジオ200)以来だから,20年振り.
 前回の内容は全く覚えてないけれど,当時もアナラポスやグラスハーモニカは使っていた筈で,大して変わってないんじゃないだろうか.
 説明しよう.(←アレの影響)
 アナラポスは,金属製の円筒2個と長いバネとを組み合わせた,大きめの糸電話みたいな音具.
 この日は,どっちの円筒も固定していないタイプと,身長測定器みたいな縦型の台座の上端と下端に円筒を固定したタイプの,2種類を使っていたが,いずれの場合も,各部分をマレットや指で叩く音・擦る音や,声を当てて共鳴させた音に,バネによるシンプルなエコー&リバーブがかかる仕組みだ.
 電気仕掛けの音楽に慣れた耳には,純アコースティックなのに電気的エフェクタをかけたみたいで,新鮮に響くかも知れない――ところがミソである.
 今回,非固定型の方は,片方の筒を聴衆の一人に持ってもらいつつの演奏だったが,この「協力者」は,単に一端を支えるだけで,共演している訳ではない.壁打ちテニスの壁みたいなものだ――ここんとこは結構重要かも.
 スズキ・タイプ・グラスハーモニカは,20W蛍光灯ぐらいの長さで口径が異なるガラス管を5本,1対のスタンドの間にシロホンみたく張り渡して並べた音具.端っこはテグスで留めてある.マレットで叩いたり,水で濡らした指で擦ったりして音を出す.出た音を口腔内で共鳴させてみたりもする.
 これも,リバーブがかかって案外深遠に聞こえたりするところが,ミソである.
 以上の他に,なんか能楽を想起させる石笛を吹いてみたり/竹の切れ端2片を蹴ったりぶつけたり竹スキーみたく乗って遊んでみたり/ばらまいた新聞紙を千切ってかそけき音を出してみたり/どっかの海岸で拾ってきた平たい小石を擦り合わてみたりなど,個々の音具につき1シーケンスずつ,短い演奏を並べるスタイル.
 全て電気的に増幅していないところが,ミソである.
 この種のコンサートでは珍しくないことだが,空調は音がうるさいので,なるべく消すように配慮されていた――余り暑くない日だったのは幸いだった.
 あと,特徴的だったのは,ゆるやかな円を描いて歩きながら演奏することが多かったことかな.
 演奏は全て即興だが,「即興演奏」というよりも気ままな「独り(音)遊び」といった印象.
 こうした誰でもできる他愛ない演奏を,1日合計200人弱(推定)の人が,2,800円(当日券3,000円)払って聴きに来るというのは,キャリアもそうだが,やはりキャラが物を言っているのだろう――あの,いかにも好々爺然とした,シャイな感じ.
 だが,こういう一見「いいひと」こそ本質は過激だったりするので,油断してはならない.彼も60年代には「暴力的な」パフォーマンスをしていたという記事を読んだことがあるし.
 因みに,俺の昔の上司(故人)にも,見た目は本当に仏様みたいな好々爺だけど,大東亜戦争の頃には,しっかりアカを拷問したりチャンコロを虐殺したりしてた,憲兵上がりの爺さんがいたっけ――関係ないが.
 まぁ昔のことはどうでもいいとして,俺は,彼が一貫して音を出すことと音を聴くこととを限りなく等価に近付けようと/演奏を限りなく匿名化し作曲行為を無意味化しようとしてきたのではないかと推測する――よう知らんが,直観的に.
 誰かが彼の演奏を指して「行(ぎょう)」と称したようだが,本当はもっと反社会的で危ないものなんじゃないかしらね.
 子供と一緒に手作りの音具で楽しみましょう,みたいな能天気な音楽家も複数いるようだが,鈴木昭男の場合は,同じ手作りであっても,子供向けでは全くなく,むしろ独身者の秘かな楽しみのための音楽だと思う(ここでいう独身者は,伴田良輔的な概念であって,未婚/既婚とは無関係).
 ....といった見解を善意の人たちの前で述べるのは憚られるので,アンケートも書かずライブ後のパーティーとやらにも参加せずに帰った.気弱というよりも面倒臭かっただけなんですが.

2002/08/25 GESO