タイトル | : 2006/04/30■128 黄金週間って何? |
記事No | : 228 |
投稿日 | : 2013/10/05(Sat) 16:29:52 |
投稿者 | : 管理人 |
[ひょっとしたら花粉の所為かも知れない] ろくなことのなかった4月も,2月下旬から断続していた咳き込みも,漸く終わりつつある. 咳き込みの方は,最初は風邪をこじらせた所為だと思い,市販薬で治そうとしたのだが,一向に好転しないので,1箇月経過した頃から医者に通い始めた.色々診てもらったが,結局病因も病名も判然としない.肺にも気管支にも異常は見られないし,喘息とも断定できない.喉が荒れているため「咳が咳を呼ぶ症状なのではないか」と言われる.何かのアレルギーが発現したのかも知れない.「何か」は分からないのだが... 様々なクスリで対症したが,今は強めの燐酸コデインで咳をねじ伏せているような状態.副作用?で便秘.
[観たいのに未だ観ていないものが無数にあるということは先の楽しみも無限にあるということである] ○岡本綺堂『岡本綺堂怪談集 影を踏まれた女』 読み始めてすぐ,都筑道夫『深夜倶楽部』は本作――正確に言えば本書に全編収録されている連作『青蛙堂鬼談』――へのオマージュだということを了解.81年も昔の小説なのに些かも古さを感じさせないこと,今日びのホラー小説にはない深い余韻,技巧を感じさせないくらい平明な名文...に感服し,遅ればせの綺堂ファンと化して,先日『半七捕物帖』全6巻揃いを見掛けた近所のブックオフへ買いに走ったが,既に売切れ.後に別のブックオフで1巻目をゲット.以後探索が続いている. △大原由軌子『大原さんちのダンナさん このごろ少し神経症』・△色川孝子『宿六・色川武大』 頭のおかしい人と一緒に暮らすのは,退屈はしないけど酷く疲れるということがよく分かる体験本2種.相方である作者自身もかなりおかしい,という点も共通. △東野圭吾『容疑者Xの献身』 なんで『約束』でも『白夜行』でもなく,この凡庸で手堅いだけのシリーズ作品で直木賞を獲れたのか?という疑問には豊崎由美社長に答えてもらうとして,こんな中途半端な社会派ミステリぶりでは,渡辺淳一に「人間が描かれていない」と難癖つけられてもしょうがないかも.同じプロットで松本清張か宮部みゆきが書いた方が確実に巧いであろう. ○諸星大二郎『グリムのような物語 トゥルーデおばさん』 「換骨奪胎」のお手本のような短編集.今なお諸星の新作が読める幸福を噛み締める. △須藤真澄『長い長いさんぽ』・△松尾スズキ+河井克夫『ニャ夢ウェイ』 廃れることニャい猫エッセイ漫画.皆自分の猫が一番!なのは当然か.ペットロスを描いた須藤作品は,この軽めの絵柄でなかったら重苦しくて読むに耐えないだろう.松尾+河井作品は,猫の可愛さはともかく松尾夫人の異常性が印象に残る. ×中原昌也・高橋ヨシキ・海猫沢メロン・更科修一郎『嫌オタク流』 オタクも嫌オタクも共に馬鹿だということだけは分かる鼎談集.人に何と言われようと好きなことなら黙々とやり続ければいいだけなのに,やたら他人の目を気にしてるんだなこいつらは. △伊坂幸太郎『終末のフール』 小惑星が地球に衝突する=世界が破滅することが分かっている状況で人々は残された日々をどう過ごすか?という古典的な命題.乙一や舞城が小説をなおざりにして脇道に逸れている昨今,伊坂は正道を邁進してどんどん巧くなってる感じ.でも,若手なのにこんなに達観してるのはいかがなものかとも思う.バランスを取るために,同じ状況設定の増田こうすけ劇場「終末」を読むか見るかして嗤うべし. △山田正紀『早春賦』 徳川の掌の上で敵と味方に別れて殺し合う武田の残党,という構図は正紀様の唯一の心の師・山田風太郎作品とパラレル.山風が救いのある青春時代劇を書いていたらこうなっていたかも,と思わせる. △唐沢なをき『漫画家超残酷物語』 そこそこ巧いのにパロディーしか描けない漫画家って,確かに残酷ではある. △高須克弥『ブスの壁』 理論と実践を一致させることは不可能――というかノンセンス――なのに,それが実現可能と信じてる奴は夢想家だし,実現不可能と知りつつ可能だと謳う奴は偽善者である.本書を読む限り,高須クリニック医院長は一見いい加減に見えるが実は生真面目で,理論と実践の矛盾と真剣に/現実的に折り合いをつけて生きている点で,信用できる.サイバラの装画は不要だと思うが,仲良し同士だから仕方ないか.あった方が売れるだろうし. △ミステリー文学資料館編『文芸ミステリー傑作選 ペン先の殺意』 谷崎潤一郎・芥川龍之介・大岡昇平・佐藤春夫・坂口安吾等々,錚々たる文士たちの手に成る短編ミステリのアンソロジーだが,傑作揃いという訳ではない.本書の価値はひとえに倉橋由美子「警官バラバラ殺人」が収録されている点にある.現実の事件に基づく創作で――1960年代前半の倉橋は,雑誌のルポみたいな仕事もしていた――作者にとっては不本意な作品らしく,単行本未収録だが,味わいは「パッション」に通じ,貴重.他では松本清張・曽野綾子・遠藤周作・五木寛之・井上ひさしの作品も読むに価するが,村上春樹のはやはり駄目. ?折原一『倒錯のオブジェ 天井男の奇想』 理解できない伏線が残ってるので,判断保留. ○ブルース・ベレスフォード『ドライビング Miss デイジー』 金持ちで頑固なユダヤの老未亡人と,その使用人であるウィットに富んだ老黒人運転手の,四半世紀に及ぶ屈折した友情を坦々と描いた映画(1989年).ベタな感動作にしないでサラリと流してる所が良い.日本では奈良岡朋子と仲代達矢が舞台で演じて好評だったそうだが,どんなもんすかね... △テリー・ギリアム『ブラザーズ・グリム』 「ネタに困ったときは昔話に戻れ」という教訓は世界共通なのだろうか.『ロスト・イン・ラ・マンチャ』で落ち込んだギリアムのリハビリ作品か? この監督にしては大人しいし物語的には破綻してるが,充分血腥い.子供が観たらトラウマになるかも知れないけど,『ナルニア』よりこっちを見せた方がタメになると思う. ○クリント・イーストウッド『ミリオンダラー・ベイビー』 今日び黒人で渋い老人の役といえばモーガン・フィッシャーしかいないんだろうか...まぁいいけど.賛否両論のラストを含め重苦しい作品だが,ヒラリー・スワンクのファンなので取り敢えず満腹. △フィリップ・ド・ブロカ『まぼろしの市街戦』 今から見ればナイーブすぎる反戦メッセージを湛えた1966年の戦争ファンタジー.社会派だった頃のフェリーニみたい? △中島貞夫『女番長 感下院脱走』 最後の機動隊との攻防シーンを見て,成る程,学生運動亡き後「反逆」の担い手をアウトロー(スケ番や犯罪者)に託して撮った作品なのね,と了解.杉本美樹の貧弱なカラダが懐かしく愛おしい1973年作品. △中平康『殺したのは誰だ』 満州帰りの自動車セールスマンのうだつの上がらない後半生を,自動車保険金詐欺絡みで描いた1957年作品.ニッポンのクルマ社会の始まりの記録として観ることも可能.デビュー間もないアキラも出るが,全体として暗く殺伐とした雰囲気で,後味が悪い. △関本郁夫『女番長 タイマン勝負』・△関本郁夫『女番長 玉突き遊び』 スケ番グループとヤクザの戦闘を描いた同工異曲の2作(1974年)だが,後者の方が出来は良い.「泣くな おっぱいちゃん」を歌う星まり子が見られて嬉しい. △アン・リー『ブロークバック・マウンテン』 古い革袋――恋愛と生活とは両立し難いという普遍的命題――に,新しい酒――米国南部の美しくも過酷な自然の下で育まれるカウボーイ同士の禁断の同性愛――を容れて作った,一見地味だがあざといメロドラマ. ○新藤兼人『裸の島』 「全編役者の台詞なし」という実験を除いては糞リアリズムで描かれた,瀬戸内海の離島に暮らす農民一家の偽ドキュメンタリ(1960年).乙羽信子の演技が取り分け凄い. ○中川信夫・小森白・高橋典『日本残酷物語』 篠原有司男の,女体を用いたアクション・ペインティングで始まり,徳之島の洞窟に隠された骸骨の山(洗骨済み)で終わる,1963年のドキュメンタリ映画.途中目まぐるしく紹介される種々雑多なニッポン各地の習俗や当時流行の風俗は,今見ると実に面白い.東京名物通勤地獄に交通地獄――今よりもひどい――,各地の裸祭り,古式に則ったものとしては最後のアイヌの熊祭り,肉を美味くするためという理由で行われる豚の去勢(乱暴),山口県沖に爆沈した戦艦陸奥の水中撮影――その後1978年に漸く引揚げ作業がほぼ完了――,闘犬や闘鶏の血腥い光景,スッポンや蛇や蛙や猿の脳味噌といったイカモノ食い――猿の時は流石に頭をかち割る場面は省略され頭髪?を剃る場面から食される場面に飛んでいた――等々.一番「残酷」だったシーンは,三味線の材料にするために生き皮を剥がされ,痙攣する猫... ○中川信夫『地獄』 やっと観れて良かった.1960年の怪作にして名作.天知茂の眉間の皺よ,永遠に. ○フィンセント・バル『ネコのミヌース』 雌猫が何故か人間に変身...という,ニッポンの漫画ではありがちなシチュエーションだけど,原作は童話だそうである.ベタだけどキュートな,猫好きには見逃せないオランダ製ファンタジー映画(2001年).主演男優が杉本哲太に似ている. ○田中登『(秘)女郎責め地獄』 阿佐谷のラピュタで田中登特集始まる.ロマンポルノ8作品を週替わりで上映.全部観たことあるが改めて観たくなるラインナップなので,通い詰めることにする.1973年の本作も,低予算にも拘わらず豪華なスタッフによる濃密で格調高い傑作.監督と主演女優(中川梨絵)のトークショー付きで,お得でした.
2006/04/30 GESO
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