タイトル | : 2006/05/26■129 神よ細部にカネよ財布に宿れかし |
記事No | : 229 |
投稿日 | : 2013/10/05(Sat) 16:30:49 |
投稿者 | : 管理人 |
[いつでもどこでも読めるような] 例えば著作権が切れている「半七捕物帖」全69話は,青空文庫から無料でダウンロードして読むことができる. しかし,現状では印刷物=本の形になっていた方が使い勝手がいいので,やはり文庫本で購入したくなる. T-Timeの最新ヴァージョンは,多様な電子端末――携帯電話,PSP等のゲーム機,iPod等の音楽プレイヤー等々――に対応しているらしいが,問題は結局,表示されるテキストが読みやすいかどうかである. 初めて読んだ小説がケータイ小説だったという人なら気にならないかも知れないが,俺はケータイの画面で長い文章を読み書きするのには抵抗感がある.ある程度分量がある文字を一覧できないと,苛々するのだ. では電子書籍専用端末ならどうかというと,ソニーのリブリエにせよ松下のシグマブックにせよ,使い勝手は大分改善されているようだが,順調に普及しているという話は聞かない. それはまず高価すぎるからだろう.4万円近い実売価格では,どう考えても対費用効果は低い――文庫本なら数十冊は買える金額だから,そっちの方がいいという気になる. また,電子書籍のフォーマットが各社独自仕様である点も,企業の立場からはユーザ囲い込みのために採らざるを得ない手段なのだろうが,ユーザにとってはいい迷惑である. そこそこ見やすい画面(まぁ,液晶だろう)で,小型軽量(少なくとも片手で持てなくては)で,長時間(長いに越したことはないが,最低40時間)電池が保って,書籍フォーマットの汎用性が高く(テキストファイルでいい),シンプルな縦書き閲覧ソフト(smoopyクラスでいい)が付いてて,安価(どんなに高くても1万円以下)な端末が出たら,買うにヤブサカではないのだけれど. あ,当然内蔵メモリの他に外部メモリも使えなくてはいけない.種類はSDカードでも何でもいいけど,メモリスティックだけはお断りだ.
[今月の映画三昧] △『陽気なギャングが地球を回す』(2006) 原作の,設定を変える所は変え,ストーリーを端折る所は思い切り端折り,結末を更に捻り...といった映画としては当然の操作を加え工夫はしているものの,全体の乗りが今一つなのは辛い.軽快さが絶対必要な作品なのになぁ.上映終了後,女性客の「さむーい」という呟きが聞こえた.トホホ... ○リーブ・シュライバー『僕の大事なコレクション』(2005) イライジャ・ウッドが米国在住のロシア系ユダヤ人三代目として主役を張るもう一つの「指環物語」,というのは冗談.結構重要なブツとして指輪は出てくるけど.ロードムーヴィー嫌いの俺でも楽しめたロードムーヴィー. ○ハヴィエル・フェセル『モルタデロとフィレモン』(2003) 人気漫画(未読)を実写化したスペイン映画.間抜けなスパイたちが活躍するドタバタ劇.狂騒的かつ破壊的なギャグの釣瓶打ちは一寸血の気が多すぎて,普通の日本人は引くかも知れない. △中村高寛『ヨコハマメリー』(2006) 横浜の伝説の老娼婦「白塗りのメリーさん」の軌跡を辿ったドキュメンタリ.引き込まれながら古井戸「黄昏マリー」を想起. ○ガース・ジェニングス『銀河ヒッチハイク・ガイド』(2005) 原作を読んだのは大昔なので内容は忘れてたが,冒頭のイルカの歌だけで傑作の予感.いかにも英国流のオフビートなギャグが詰まったバカSF映画.SWの十倍は面白い. ○田中登『ピンクサロン好色五人女』(1978) 新宿のシーンに,今は無きションベン横町の居酒屋「日鶏園」の外観が映って懐かしい.ロックな映画. ○リチャード・カーティス『ラブ・アクチュアリー』(2003) 複数のカップルの恋愛模様が並行して描かれるので,訳が分からなくなりそうな危惧があったが,脚本が良くできているので自然に頭に入る.お約束の大団円を含めて,三谷幸喜がそのうちパクりそう. ○カーク・ジョーンズ 『ウェイクアップ!ネッド』(1998) 小さな村の宝くじ騒動...ぐらいの説明にしておくべきだろう.いいのか,この結末で?いいのだ,英国映画だから. △ロベルト・シュヴェンケ 『フライトプラン』(2005) どうも無理のある設定だが,描きたかったのはジョディ・フォスターの「母親の愛」なんだから,これでいいんでしょうよ,と思うしかない. △スコット・デリクソン『エミリー・ローズ』(2005) 悪魔に憑かれたと信じる主人公を救うために悪魔払いの儀式を執り行い失敗した神父が過失致死で訴えられた現実の事件に基づく映画.キリスト教徒にとってはホラーかも知れないが,異教徒にとってはお笑い映画.流石に悪魔が実在するかどうかについて法廷で争う訳にはいかず,大岡裁きに終わる. ○田中登『実録 阿部定』(1975) 『愛のコリーダ』(1976)の方がカネはかかっているが,本作のチープ・イミテーションにしか見えない.宮下順子の存在感一つとってもこっちが上. △フェルナンド・エインビッケ『ダック・シーズン』(2004) メキシコ映画を観たのは初めてかも.このまったり感は欧米の映画より邦画に近い.「THE4名様」とでも呼びたい脱力系作品. ○リーフェン・デブローワー『ポーリーヌ』(2001) 全員未婚の老四姉妹.ポーリーヌは次女で知恵遅れ,中身は殆ど子供で,一人で靴紐も結べない.彼女を自宅に住まわせ面倒をみていた長女が急死し,その遺言により三女か四女のいずれかがポーリーヌを引き取れば遺産は三等分,どちらも引き取らなければ遺産は全部ポーリーヌのもの,ということで,三女と四女は遺産欲しさに不本意ながらも交代でポーリーヌを世話し,様子を見るのだが... 同じプロットで日本で撮ったら相当陰惨な話になりそうなところだが,このベルギー映画には奇妙な明るさと救いがあり,嫌な後味はない.未知の役者たちもみな巧く,ポーリーヌも「本物」にしか見えない. ○田中登『夜汽車の女』(1972) 学者一家の崩壊を描いた耽美的ロマンポルノ.劇画化するなら――叶わぬことだが――絶対上村一夫で,という雰囲気.昔は気にしていなかった田中真理も,今見るとなかなか良いが,歯並びの悪さが玉に瑕. ?カレル・ゼマン『鳥の島の財宝』(1952) 途中で寝てしまったのは,作品が退屈だったからではなく,単に眠かったせいである.
[ささやかな読書] △筒井康隆『壊れかた指南』 最新短編集.筒井クラスになるともう何を書いても許されるのだろう,思い付きで書き始めて途中で投げ出したような作品――それすら計算尽くであるかのように見せる老獪さは流石だが――が多い.新人ならボツになるだろうな.中には「耽読者の家」みたいに素直に気に入った作品もあるのだけれど. ○伊坂幸太郎『陽気なギャングの日常と襲撃』 伊坂はもっともらしい作品よりもこの軽い乗りの方がやはり,いい――もちろん,軽く書き飛ばしてできる作品ではないのだが.このシリーズはネタが尽きるまで続けて欲しい. ○岩合光昭『きょうも、いいネコに出会えた』 岩合の猫写真を見ると,一瞬どんなエロ写真を見たときよりも興奮し,その直後今度はやたらに穏やかな気分になる.この落差が快感. ○色川武大『引越貧乏』 遺作となった連作短編集.セカチューには全く泣けなくてもこういうのには泣ける.「なんとかしたいがどうにもならない」が5点なのは点取り占いとしては如何なものか(高得点すぎる)とか,無頼派の男(例: 私小説作家の殆ど)は生活力ないけど無頼派の女(例: 内田春菊・岩井志摩子・西原理恵子)は生活力旺盛だよな,などとしょうもないことを想起. △荻原浩『なかよし小鳩組』 普通に泣くなら荻原作品でしょう.ていうか,小説は泣くために読むものじゃないって. 都筑道夫の本を大量に借りて読み始める. 「江戸趣味とモダーンさが一つになった」所が魅力であるが,ガチガチのミステリを読みたい人には文体が軽すぎる――この軽さを出すのが実は大変なのだろうが――と思われそうだし,軽いミステリを読みたい人には蘊蓄部分――ここにかなり「本音」が吐露されているのだが――が煩いと思われそうだから,結局読み手が限定されるんだろうなぁ.
2006/05/26 GESO
|