タイトル | : 2010/02/17■176 何もかも嫌になった場合の措置 |
記事No | : 257 |
投稿日 | : 2013/10/05(Sat) 21:16:17 |
投稿者 | : 管理人 |
[訃報] 遅れて知ったけど,北森鴻が1/25に亡くなっていた.弱冠48歳. ということは,宇佐見陶子にも,蓮丈那智にも,テッキとキュータにも,もう会えない訳だ... 淋しい限りである. 香菜里屋シリーズは完結してるみたいだから,未読の作品を読まなくては.
[観てなんぼのもの] △国際民俗芸能フェスティバル(2/9 新国立劇場中劇場) 文化庁が税金を使って毎年二,三回催している無料のイヴェントなので,観に行かなきゃ損である. 今回は,タイ東北部のモーラム(歌うたい),奈良市田原地区の祭文,エストニア共和国キフヌ島の婚礼行事に伴う歌と踊り,仙台市秋保(あきう)の田植踊,今治市高部の獅子舞という,五つの演目. タイのモーラムには様々な形態があるそうだが,今回はケーンと呼ばれる笙――日本の笙よりもバグパイプに近い音――の伴奏のみで「タイは良いとこ一度はおいで」みたいな観光宣伝歌が歌われるだけのもの.余り面白くなかった. 田原の祭文は,唄うとき共鳴させるためだけに用いる――つまり吹いては使わない――法螺貝と,チープな形に簡略化された錫杖の二つを楽器として用い,メインの一人が語り,外の三人が「デロレン節」を法螺貝リバーブでコーラスするというもの.今回の演目は赤穂浪士の挿話の一つだったが,浪花節の原型だということは一聴して瞭然だった.老人のみによる緩く単調な演奏に,眠気を誘われた. エストニアは,ドイツ〜スウェーデン〜帝政ロシア〜ソ連に代わる代わる支配されてきた国だが,強い民族意識をもって母国語を歌と踊りの形で保持してきた点や,完全独立を勝ち得たのがソ連崩壊後である点で,バルト海沿岸の他の二国(ラトビアとリトアニア)と共通する.漁師の島キフヌは「亭主丈夫で留守が良い」嬶ぁ天下の土地柄で,冠婚葬祭等日常行事は全て女性たちが仕切っているという.アコーディオン一〜二丁の伴奏による歌と踊りは,時にブラックな歌詞内容を含めて,英国民謡によく似ている.生活は貧しくとも,日本の漁村に較べれば良くも悪くも遙かに「文化的」で洗練されているところが,欧州臭い. 秋保の田植踊は,小歌踊りや風流踊りの影響を受けているせいか,田舎なのに煌びやかな衣装で,振りも雅である.子供が大勢入っている点も特徴的.でも,テンポがゆったりしすぎているせいか,観ていて眠くなった. 一番見応えがあったのは,最後の高部の獅子舞.これにも子供が大勢出演.今回は,獅子頭を被った子供らが,土台となる大人の肩に乗って曲芸をする「二継ぎ」から,土台の上にもう一人大人が「中台」として入り都合三段になった上で曲芸をする「三継ぎ」まで披露したが,野外で実演するときには,更に一段加わった「四継ぎ」も普通に行われるという.プロのサーカスのような軽やかさはないけれど,それだけに観ていてハラハラドキドキする荒技である.一歩誤れば転落〜大怪我する危険な芸を子供にやらしてええんか,なんて野暮なことは言わずに,素直に感心して観ていればよいのでしょう.何にせよ,日頃の訓練は凄く厳しいに違いない.延々と反復される大太鼓・小太鼓の囃子のリズムも,妙にモダンかつ呪術的で面白い. でも,どれもこれも演じる方々は「伝統文化保存会」の類なのですね...
○道尾秀介『ソロモンの犬』(文藝春秋 2007) 自分たちの中に殺人犯がいるのではないかと疑心暗鬼に陥る大学生の友人グループ...この設定は石持浅海への挑戦だな,とまたもや妄想を掻き立てられる,苦い青春ミステリ.パロディーでもパスティーシュでもなく,オリジナル作品による真っ向からの挑戦という点が好もしい. 思えば『背の眼』『骸の爪』と続く真備庄介シリーズも,京極夏彦への挑戦であろう.憑き物落としもする真備が,京極堂とはある意味で正反対のキャラな点が,それを示している.
○道尾秀介『ラットマン』(光文社 2008) 高校時代から社会人になるまで続いてきたエアロスミスのコピーバンド.前任ドラマーの女性が,練習スタジオの倉庫で事故死を装って殺される.犯人は残りのメンバーの誰かなのか? ...と紹介するとありがちなミステリっぽいが,そこはそれ,なかなか一筋縄ではいかない. プロットは全然違うのに桜庭一樹『わたしの男』が想起される理由は読み進むうちに分かったが,書かずにおくべきだろう.様々な点で似ているが,桜庭作品ではミステリ色が味付け程度なのに対して,こちらは一見単純な真相を二転三転させる技巧の点でミステリ的にガチだし,人間を描いている(笑)点で「文学的」に遜色はない. 確か雑誌「ダビンチ」か何かに桜庭+道尾対談が載ってるのを見掛けたことがある.当時はどちらにもあまり関心なかったのでスルーしたけど,今となっては両者の違いを確認するためにも読みたい.
○道尾秀介『シャドウ』(東京創元社 2006) 2007年第7回本格ミステリ大賞受賞作.大学生時代から親しくしていた二組の家族を次々に不運が襲う.主人公は小学五年生の少年.母親は癌で死に,続いて両親の親友一家の母親が謎の飛び降り自殺を遂げ,主人公の幼馴染みであるその娘も後を追うように自殺未遂.それぞれの父親たちも,何やら暗い秘密を抱えつつ段々壊れていく... よくこんな陰惨な話を書くなぁと眉をひそめつつも読み出したら止まらないのは,語り=騙りが巧いのに加え,謎解きのための謎解きだけに終わらせない深みを演出できてるからである.
○清野とおる『東京都北区赤羽 1〜3』(Bbmfマガジン 2009〜2010) 赤羽,いいね! 凡庸なご当地漫画に期待されるホノボノ感とはほど遠い,「異界」を描いた特異なご当地漫画.元々はケータイ配信漫画らしい.噂には聞いていたが,赤羽の書店『談』を覗いたら本当に平積みされていた.ここでサイン会もやったらしい. 作者は怪電波の受信感度がかなり高めで,奇妙な場所や奇人変人に呼び寄せられ,翻弄され,困惑しながらも,楽しんでいる.根本敬の敷居を低くした感じなので,マニアじゃなくても楽しめると思う.
○ジョナサン・キャロル『木でできた海』(創元推理文庫 2009.原著 2001) 偶然だろうが,舞城王太郎『ディスコ探偵水曜日』によく似ている.舞城作品では探偵が,キャロル作品では警察署長が,狂った世界の謎を解こうと時空を超えて彷徨する.舞城のほうが一見過激だが,実はキャロルのほうがジャンル小説の軛から解放されているぶん,よほどパンクである.でも,この無茶苦茶は超絶技巧のキャロルだから許さるのであって,下手な作家が真似しても恥ずかしいだけだろう.
○島田荘司『聖林輪舞 セルロイドのアメリカ近代史』(徳間文庫 2000) ハリウッド・スタア――チャップリン,キートン,早川雪舟,モンロー,プレスリー他――や,ハリウッドと縁があったセレブたち――ハースト,ヒューズ,ケネディー他――の評伝を通じて,アメリカの現代(暗黒)史を描いたノンフィクション. 多数の参考文献から引いた挿話が主で,著者の独創はスタアたち縁の地を訪ねる際の具体的なドライヴ・ガイドを付したことぐらいだ――島田はカーマニアで有名だし,本書の元は『島田荘司のLAドライヴ・マップ』という雑誌連載記事だった――が,手際良く面白い読み物に仕上がっているのは,編集能力の高さを示すものだ. 採り上げられた人物の殆どが天国から地獄に墜ちるジェットコースター人生を歩んでいる中で,唯一マトモな人生を全うしたフレッド・アステアの方が異常に見えてしまうところが,ハリウッドという異界なのですね. 因みに,ノンフィクション作家としての島田には『三浦和義事件』の増補改訂版を書いて欲しい――というか,書くべきだと思う.
○佐藤哲也『ぬかるんでから』(文春文庫 2007.親本 2001) 寓意無き寓話13編を収めた短編集.いずれも短いけど濃厚. 固有名詞も記号も使わず一般名詞だけで抽象化している点は異なれど,凡庸なものに対する悪意の滾り具合は倉橋由美子の初期作品群に通底しているし,文体は別役実とか藤枝静男をより冷風で乾かした塩梅だったりするので,俺の趣味にはよく適う. 解説の伊坂幸太郎はこれらの作品の魅力をよく理解してはいるけど,当人は自作のくだらない映画化を許容できるくらいに地に足の着いた善人であるから,こういう小説は書けないだろうなぁと思うと,残念.
[最近気になったこと] 鍵山珠里 唯一のシングル「涙は春に」と,山本リンダ不遇時代のシングル「涙は紅く」は――ズーニーブーの「ひとりの悲しみ」と尾崎紀世彦「また逢う日まで」と同様――同じ曲(リメイクというよりも使い回し)なのに,何で『昭和ガールズ歌謡 レアシングルコレクション EMIミュージック・ジャパン編』の解説は,そこらへんに言及してないのか? ...どうでもいいですか.いいですね.
2010.02.17 GESO
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