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タイトル2011/04/18■190 After 3.11
記事No271
投稿日: 2013/10/05(Sat) 21:30:39
投稿者管理人
[3.11以後]
 想い出して色々メモしてみたが,どう書いても暗い愚痴めいた記述に終始しそうなので,やめた.
 兎も角,3.11を境に何かが変わってしまったという感覚を払拭することは最早不可能に思える.
 他の私的なストレスも絡んでいるが,あの日以来,足が地に着いていない気分が続いていて,時間感覚も少し狂ったままだ.数日後にはすっかり元気になった家の猫よりも,俺の方が遥かに脆い.
 以下には,3.9までに書いたメモを清書せずそのまま載せた.

2011.04.18 GESO

[前回のツヅキ]
 光文社文庫版『都筑道夫コレクション』(全10巻)や創元推理文庫版『退職刑事シリーズ』(全6巻)等も未だ絶版にはなっていないようだが,新刊書店で見掛ける機会が殆どないことが問題ですね.

○井上剛『その街のこども 劇場版』(2010 日)
 NHK大阪制作の阪神淡路大震災15周年記念テレビドラマの劇場版.「フィクションとノンフィクション」について考えさせられる作品だが,問題の核心は「と」の中にある(「と」思った).大友良英の音楽は端的に言ってソツがないがあまり印象に残らない.

○入江悠『SRサイタマノラッパー2 女子ラッパー★傷だらけのライム』(2010 日)
 今回は群馬の女子編.映画としては一作目よりも随分巧くなっている.ヒップホップに全然興味がなくても「地方の青春もの」として観られる普遍性を持ってるのは結構なことだが,この調子で果たして良きマンネリズムとして定着できるんだろうか? 三作目は栃木編だそうだが,そろそろ飽きられても不思議はないな.
 それにしても,このシリーズで観る限り,日本語のラップってEASTEND×YURI「DA.YO.NE」(1994)の頃と大して変わってないような気がするんだが... ま,俺は門外漢だからどうでもいいけど.

○オルドジフ・リプスキー『レモネード・ジョー 或いは、ホース・オペラ』(1964 チェコスロヴァキア)
 チェコ製西部劇にしてミュージカル・コメディー.下戸でレモネードしか飲まない正義のガンマン――でも結構間抜け.実はレモネードメーカーのセールスマンで,社長の御曹司――が悪人ども――あまり憎めない――と戦い,酒・煙草・博打に明け暮れる町民たちを健全化する――でもジャズと売春宿は許容範囲らしい――というお話.一応1885年のアリゾナが舞台になっているが,日活の渡り鳥シリーズみたいな無国籍感が漂う.涙は無いが,笑いもお色気もたっぷりのマッタリした馬鹿映画.

○辺見庸『いまここに在ることの恥』(角川文庫 2010.親本 毎日新聞社 2006)
 「ノーム・チョムスキーは私に、まさに鉈でぶち切るように、こんなことを語りました。――戦後日本の経済復興は徹頭徹尾、米国の戦争に加担したことによるものだ。サンフランシスコ講和条約(一九五一年)はもともと、日本がアジアで犯した戦争犯罪の責任を負うようにはつくられていなかった。日本はそれをよいことに米国の覇権の枠組みのなかで、「真の戦争犯罪人である天皇のもとに」以前のファッショ的国家を再建しようとした。一九三〇年代、五〇年代、そして六〇年代、いったい日本の知識人のどれだけが天皇裕仁を告発したというのか。あなたがたは対米批判の前にそのことをしっかりと見つめるべきだ――。陰影も濃淡も遠慮会釈もここにはありません。あるのはよけいな補助線を省いた恥の指摘でした。『マルスの歌』のような手法など通用しないのです。」(p.93)

○同『しのびよる破局 生体の悲鳴が聞こえるか』(角川文庫 2010.親本 大月書店 2009)
 「世界は怪しいのですが、われわれの内面はもっと怪しい。たぶん、われわれのゆがんだ内面は、無意識に権力の増殖に関与し、助けている。原題の権力は可視的な単体ではなく「絶えず無秩序な離合集散をくりかえす無数の合意によってなりたっている」とい欧州のある作家はいいましたが、ぼくらはシニカルに自他を笑いながら無意識に「無数の合意」のひとつを構成し、権力を助長しているのでしょう。これが無意識の荒みなのです。真剣に語ることを冷笑するウィルスをだれもがもっている。そうさせているなにかがある。」(p.117)
 辺見の黙示録を続けて読むと,流石に気が滅入る...

△同『私とマリオ・ジャコメッリ』(NHK出版 2009)
 筆者の真摯さとジャコメッリの写真の良さは疑い得ないにも拘わらず,何故か違和感を覚える.
 モノクローム写真への郷愁を人間にとって普遍的なものと考えていること.
 無意識をあたかも聖域であるかのように語っていること.
 「権力」や「資本」に対する素朴すぎる見方.
 といった点に理由がある.

○浅川マキ他『ロング・グッドバイ 浅川マキの世界』(白夜書房 2011)
 マキ自身の文章のほか,対談,インタビュー,写真,資料(ベスト盤が除かれている点を除けば初の完全ディスコグラフィーや,年譜,コンサート・リスト等)を満載した,ファン必携の公式ガイドブック.
 初めて知る逸話や印象的な談話が多く,興味は尽きない.
 ただし,ディスコグラフィーにベスト盤とEP盤が入っていないことや,コンサート・リストに誤りと思われる箇所や表記の不統一が多いことなど,不満もある.
 「マキさんの音楽について言うと、人が喉から発するのは声なんです。でも、声は歌じゃないんです。いまの歌手の歌になんの感動もないのは、ただ声が出ているだけだからですよ。でも声は歌じゃない」(つのだ☆ひろ)
 「(例えば)彼女が口にする「机」という響きは、机という形はおぼろげにイメージできるかもしれないが、むしろ個人としての机の記憶や、それに関連する体験の周囲的なイメージ、または自分の記憶にさえないものまで思い起こさせる誘発力を持っている」(スティーヴ)
 ちなみに「かもめ」と「懺悔の値打ちもない」はどこのカラオケにも置いてある定番歌謡曲だが,共に殺人者の一人称で書かれた歌詞であることに改めて思いを致すと,驚きを禁じ得ない.〈普通の人が感情移入して歌える殺人者の詩〉を書きえた寺山修司と阿久悠はやはりた只者ではない.

○ケン・グリムウッド『リプレイ』(新潮文庫 1990.原著 1986)
 この小説の本歌取りと言っていい乾くるみ『リピート』(文春文庫 2007.親本 2004)を先に読んでいたので,どうかなぁと思って読み始めたが,本作の面白さが減じることはなかった.
 杉山高之(訳者)が解説に記すとおり,「人生がやり直せたら、というのはあらゆる人間が抱いている夢です。これはあまりにも古く、あまりにもありふれたテーマだから、これを使って広範な読者を満足させる小説を書くことは至難の技です。ところが、ケン・グリムウッドはそれを見事にやってのけたといえるでしょう」.
 他方,乾が本作の日本版を書いた動機も推定できる.一つは,『リプレイ』は米国人の郷愁に訴える所が大きい作品だが,日本人にはそれを理解できても共有することは困難だから.もう一つは,『リプレイ』はジャンルミックス的作品ではあるが,乾の専門であるミステリの味わいは薄かったから.乾の試みが充分成功しているかどうかは意見が分かれるだろうけど,『リプレイ』という傑作に挑戦した果敢さだけでも賞賛に値するだろう.

△都筑道夫他『東京浅草ミステリー傑作選』(河出文庫 1987)
 京都・鎌倉・横浜・神戸・札幌等々10数冊刊行された「ミステリー紀行シリーズ」の1冊.
 アンソロジーの趣向としては面白いけれど,無理矢理集めた感じは否めず,収録作はいずれも面白いが「傑作選」とまでは言い難い.ミステリ的に出来がいいのは日影丈吉「吉備津の釜」と紀田順一郎「無用の人」ぐらいだろう.
 でも,井上ひさしのストリッパー情話「入歯の谷に灯ともす頃」などは,新保博久が解説で述べるとおり「とにかくいい話」ではあるから,悪くはないのだけれど.

○赤江瀑『オイディプスの刃』(角川文庫 1979.親本 1974)
 何で37年前に読まなかったのかを推定すると,当時は角川書店が嫌いだったからだと思う.遅まきながら読んだら,やはり良いものは良いのだった.後の短編群にも現れる「刀」や「香水」は既にこの最初の長編に登場し,馥郁たる血とジャスミンの匂いを放っている.
 タイトルに引き摺られて作品を精神分析的に解釈しようとする磯田光一の解説は,見当違いである.「あたかも刀が小説の主人公であるかのような印象さえ与える」と書いているが,この作品にあっては正に人ならぬ「刀」が主人公なのだから.

○ヤマザキマリ『ルミとマヤとその周辺』全3巻(講談社 2008)
 作者(1967年生まれ)が『テルマエ・ロマエ』だけの人ではないことを示す自叙伝的漫画.父親に先立たれた母一人娘二人の貧しい家族――母親がヴァイオリニストで演奏旅行で殆ど家に居なかったりするところは特殊だが――の昭和40〜50年代の日常生活が描かれる.泣ける話満載だが,単なるノスタルジーには終わらず,ビンボーでも卑屈にならず真っ直ぐ生きよという真っ当なメッセージが説教臭くなく届いて来て清々しい.