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タイトル2012/11/06■196 再びここ一か月の覚書
記事No277
投稿日: 2013/10/05(Sat) 21:44:05
投稿者管理人
○川瀬七氏wよろずのことに気をつけよ』(2011 講談社)
 江戸川乱歩賞受賞の呪術ミステリ.京極夏彦の選評が冷淡だったのは自著と重なる点があったからだろうか.探偵役の仲澤大輔は呪術研究に傾倒する文化人類学者で住まいは中野という設定だが中禅寺秋彦が住んでた近所なのかも.ミステリとしては荒削りだけれど少なくとも『陰摩羅鬼の瑕』以降の京極堂シリーズよりは面白い.

○同『147ヘルツの警鐘 法医昆虫学捜査官』(2012 講談社)
 デビュー二作目は女性法医昆虫学捜査官を探偵役にした警察小説.ニッチを狙っているが題材が特殊なだけに長期シリーズ化は難しいかも知れない.もっと細部を書き込んでほしい憾みもあるけどキャラの立て方も読みやすさも新人としてはかなりなもの.

△美内すずえ『ガラスの仮面 49』(白泉社 2012)
 マヤと桜小路はぎくしゃくしたままだし亜弓は盲目のままだし紫織は狂ったままだし速水は結果的に優柔不断なままだし相変わらず話がなかなか進まぬ...

○ヤマザキマリ『テルマエ・ロマエ V』(エンターブレイン 2012)
 前巻に続きルシウスは現代日本に長期滞在中で古代ローマへはちょっとしか戻れない.今回のお話は温泉地を巡る新旧ヤクザの諍いが中心で『まむしの兄弟 お礼参り』を思わせる.次巻で大団円か?

○海堂尊『極北クレイマー』(朝日新聞出版 2009)
 福島県立大野病院産科医逮捕事件(2006年)と夕張市の財政破綻(2007年)をモデルにして北海道の架空都市「極北市」の市民病院を舞台に描いた医療エンタメ.お騒がせキャラ姫宮香織が登場するドタバタシーンを除けば結構リアルかつヘヴィ.

△清水義範『迷宮』(集英社文庫 2002.親本 1999)
 確かに挑発的な叙述ミステリではあるが解説の茶木則雄が絶賛しているほど画期的な作品とは思えない.巧みな「文体練習」だけでは「客観的事実は存在するのか?」「他人の考えを理解することは可能なのか?」といったハードなテーマを扱うには不充分だしミステリ的意外性ももうひとつ.

○赤江瀑『ポセイドン変幻』(集英社文庫 1994.親本 1975)
○同『夜叉の舌』(角川ホラー文庫 1996)
 前者は6編後者は10編を収録.作品の多くは要約すれば「何かに取り憑かれた人間が快楽の果てに滅びる物語」という凡庸な内容になってしまうが小説の梗概を述べても実は余り意味はない.要約すれば済むような小説も世には多数あるが少なくとも赤江のような幻視者の手に成る作品は文章をじっくり享楽する以外の読み方は考えられずそもそも要約や速読の対象とはなり得ないのだ.

△井上夢人『ラバー・ソウル』(講談社 2012)
 世にも醜い男が片思いの女をストーキングし彼女に近付く男たちを次々に殺してゆく――言ってる傍から要約してしてしまった――という陳腐な物語をこの作家が書く訳はないので最初から眉に唾を付けて読んだが... 清水義範『迷宮』と東野圭吾『容疑者Xの献身』を想起せずにはいられなかった.前者を本作の直前に読んだのは全くの偶然だがそれは別にして類似点は多い(省略).後者を想起した理由は幾つかあるがその一つは読者の同情を買って感動作と言わせようとする嫌らしい手口が共通しているからである.ミステリとしては前者よりは上で後者とは引き分けくらいだと思うがどうもアンフェアぎりぎりな感じで心地よく騙された気はしない... 折原一が書けば見出しや文章の表記にもっと「手掛かり」を散りばめて読者を挑発してくれるんじゃないだろうか.

△桜庭一樹『少女七竈と七人の可愛そうな大人』(角川文庫 2009.親本 2006)
 なーんだ『私の男』と同じじゃんという印象.解説(というよりエール)を古川日出男が書いているがこの二人は作風がよく似ている.どちらも技巧的だし面白いし実在の地方都市を舞台にするなどそれなりのリアリティも演出しているのだがどちらの作品も嘘臭くてつい佯狂を観察する目で読んでしまう.巧さを感じさせてしまう巧さは本当の巧さとは言えないのではないか.

○上田早夕里『魚舟・獣舟』(光文社文庫 2009)
 幻覚の輪郭が明瞭なのがSF小説/曖昧なのが幻想小説であって基本的に相容れないものだと思うが稀に両立することもある.長編向けのアイディアが惜しみなく投入された本作品集――短編4+ショートショート1+中編1――は全編その見事な例.

○吉田大八『桐島、部活やめるってよ』(2012 日)
 原作は未読なので何とも言えないが映画版は『桐島を待ちながら』と題してもよさそうな作品.多視点で高三生たちの一週間を描く群像劇だが会話や行動のリアルさ――俺は高三じゃないから無論想像上のリアルさだが――に感心.予想外の面白さだったので同監督の過去の作品にも注目.

○内田けんじ『鍵泥棒のメソッド』(2012 日)
 過去の2作品と較べると意図的にシンプルかつベタに作ってあるが伏線を生かし切る無駄のない作り方は変わらず(良くも悪くも)予想どおりの面白さ.

△西川美和『夢売るふたり』(2012 日)
 夫婦で結婚詐欺する話.この監督の描く「リアルさ」には首を傾げたくなる部分も多いのだがまずは面白い.個人的に冒頭の居酒屋炎上シーンに――焼鳥があんなに燃えるかという疑問はさておき――高円寺石狩亭全焼事件を思い出して寒気がした.

○園子温『希望の国』(2012 日)
 結局ここでも描かれるのは「家族」かよといささかウンザリしないでもないし辻褄が合わない箇所もあるしあからさまな反原発/反国家映画だけに制作の資金繰りに苦労したんだろうなと思わせる所もある.だが今これを作らねばならぬという熱意がひしひしと伝わるのでじっくり観ない訳にはいかない.本作も他の作品も監督自身が宣言するほど破壊的ではなくむしろオーソドックスだからエンタメとして成立しているのだと思うが.

△11/03足立市場 ジョン・ケージ「ミュージサーカス」芸術監督:足立智美
 musicircusはケージが1967年に発表したコンサート形式で「さまざまな音楽がお互いに自立しながら、同じ時間と空間を共有して、響きあう状態」というもの.今ではフジロックのような大規模野外コンサートも大概そういう形式だと思うがそれは結果であって発想自体は異なる.フジロック等が複数ステージで同時進行する形を採っているのは限られた時間と空間に多数の出演者を投入するためにはそうせざるを得ないという実際的/効率的な理由があるのだろうがmusicircusのほうは本来「すべてが美しく共存していく」新しい社会モデルを意図したものなのである.
 しかし現実の「ミュージサーカス」は音楽に限定されない様々なジャンル――サンバ/ちんどん/お囃子/スタンダードジャズ/フリーミュージック/ノイズ/アシッドフォーク/空手/大道芸/クラシック/炊き出し/津軽三味線/一人芝居/タップダンス/ママさんコーラス/印度音楽/etc.――のパフォーマーが割り振られた時間+空間枠を従順に受け容れて粛々とパフォーマンスを繰り広げるイヴェント以上のものではなかった.公共空間の空き時間を有効活用しましょうという行政サービスを利用した屋外フェスティヴァルの一つに過ぎないということだ.それはそれで楽しめたけれど「新しい社会モデル」とはほど遠く学園祭と大して変わらない.
 因みに今年はケージ誕生百年記念ということで世界中でお祭りが開催されているらしくブライアン・イーノも3月に倫敦でMUSICIRCUSを催し,John Paul Jones,Michael Finnissy,Edward Gardner, the ENO Community Choir, ENO Opera Works singers, an intriguing collective of professional and amateur talentsが出演したという.新しい社会モデルは提起されたんだろうか――まさかね.

 横溝正史『病院坂の首縊りの家』を読んで違和感を覚えたのは時代設定が昭和28年(1953年)なのに「マスコミ」という言葉が出て来ることだったがこれはやはり考証の誤りだったみたい.「マスコミ」という略語は大宅壮一が1962年頃から使い始めた造語らしい.横溝は現実の事件が起こった年月日を作品中に明記し当時の世相を活写することでリアリティを醸し出していたがときにはこうしたミスもあったということ.

2012.11.06 GESO