[リストへもどる]
一括表示
タイトル2011/01/30■189 クーパーVS.カウパー(再録)
記事No504
投稿日: 2023/01/21(Sat) 16:10:06
投稿者geso < >
 DVDが出るのを待つよりもスクリーンで観た方がいいと思い『キック・アス』を再観.二度目でもやはり面白かった.
 ヒット・ガールは多分あずみより強い.

[早稲田松竹賛江]
 早稲田松竹は二番館最後の砦の一つで,気の利いた二本立てを安価で観られる素敵な小屋である.潰れないで欲しいものだ.
 今回観たのもなかなかイカス組合せ.

○テリー・ギリアム『Dr.パルナサスの鏡』(2009 英・加)
 博士の鏡の向こう側は,飛び込んだ者の欲望が実体化した世界...
 往年のモンティ・パイソンファンなら涙もののギリアムらしい奇天烈映像のオンパレード.ダレ場もあるが,総じて楽しい.
 重要な役どころのヒース・レジャーが撮影中に急逝するという危機――何て不運続きなんだ,ギリアム――を,ジョニー・デップら俳優三人が協力して四人一役(!)で乗り切ることができたのは,鏡の中に出入りする度に顔が変わる(こともある)という無茶な設定が許されるファンタジーならではだが,それにしてもよく完成まで漕ぎ着けたものである.
 トム・ウェイツが悪魔役で出演しているのも嬉しいが,あのメイクでは誰だかちょっと分からない...

△クリストファー・ノーラン『インセプション』(2010 米)
 俺はフロイト以来の「構造化された無意識」という概念をそもそも信じていないし,無意識の機能ということになっている「夢」を機械的に操作することが可能とも考えていないが,虚構=物語としてそういう理論を使う分には全然構わないと思っている――勿論面白ければ,だが.
 で,この映画は,他人の夢に侵入して意識を操作する話という点では古典的なSFだが,フロイト理論を歪曲した独特の夢理論に特色がある.
 俺は夢の中で夢を見るという二層構造までは経験があるけれど,その中でまた夢を見たり,更にその中でまた...といった三層以上までは経験したことがない.
 だが本作では,複数の産業スパイが「機械」――この構造が殆ど説明されていないのは本作の欠点の一つである――を用いてターゲットの夢の中に侵入し,その夢の中でまた「機械」を使って夢を操作するということを繰り返し,どんどん「深層意識」に潜り込んで行く.面倒なので途中で数えるのを止めたが,四層以上はある夢に,大勢が同時並行的に関与するのだ.
 各階層の夢は切り替わってより深い階層に進むのだが,前の階層の夢が途切れてしまうことはなく,個別にリセットされるまでそれぞれ並行世界のように継続する.階層を超えて行き来はできないが,それぞれの夢を同時に認識することは(熟練者であれば?)できるらしい.深い階層の夢になればなるほど成立が不安定になるが,時間の進行が「現実」と等差――等比まではいかない――級数的に遅れるという法則があって,それを利用して「作戦」を立てる者もいる...
 こうした複雑かつ独特な設定を取り敢えず受け入れない限り物語は成立しないので,誰にでもついて行けるものではなく,俺も最後まで違和感を拭い切れなかったけれど,映画としては,思弁的な描写を避け,現実的な戦闘=アクション場面や,現実にはあり得ない特殊映像を多用して興味を繋いでいるから,辛うじて娯楽映画として成立した感じである.
 「夢なのか現実なのか?」という落ちだが,これは藪の中ではなく,観ていれば分かることなので,余韻はむしろ少ない.

[永井豪賛江]
 豪ちゃんは「デビルマン」をリライトしたくて「激マン!」(「週刊漫画ゴラク」連載中)を描いているのだろうか?

[赤江瀑賛江]
 なるべく本屋には近寄らないようにしていたのだが,出張先で,何だか呼ばれているような気がしてブクォーフを覗いたところ,ずっと捜していた本が1冊だけあったので,驚いた.しかも偶々割引セール最終日で,通常の半額で買えた.たまにはこういうこともある... 幸運の小出しですね.
 その本は『禽獣の門 赤江瀑短編傑作選 情念編』(光文社文庫 2007)で,3巻ものアンソロジーのうち1冊.他の2冊――『花夜叉殺し 幻想編』『灯籠欄死考 恐怖編』(同)――は既に持っており,残りの1冊を探していたのだった.
 俺が初めて読んだ赤江作品は短編集『霧ホテル』(講談社 1997)である.これには正直さほどピンとこなかったのだけど,その後傑作選2冊を読んだら,遅まきながら嵌ったのだった.
 『傑作選』は,1970年のデビューから2006年までに発表された220作を超える短編の中から選ばれているが,この作家が一貫して反時代的な幻視者であったことが,読めば分かる.森真沙子・篠田節子・皆川博子という彼の眷属たる魔女の面々による巻末エッセイも興味深い.
 因みに,全巻に成田守正による懇切丁寧な「解題」が載っているが,これは説明が詳細すぎてやや興醒めである.
 篠田は巻末エッセイの中で「この作家に限り、ベストセラーになるのは不名誉であり、通俗作品に与えられる賞を受賞するのは屈辱であるような気がする。」「もはやそれ自体が魔と化したような作品群は、一刻もてはやされては捨てられていく流行小説の海の底で、ひっそりと妖しい光を放ち続けては、ごく少数の、彼によって選ばれ、洗礼を受けた読者たちを、これからも溺れさせていくことだろう。」という信仰告白にも似た賛辞を述べているが,彼女はこれと似通った賛辞を皆川博子作品のどれかの解説にも書いていたと思う.
 慥かに,皆川と赤江の作風には近いものがある.
 例えば赤江『恐怖編』所収「海婆たち」(1993)など,皆川作品だと偽って読まされても信じてしまいそうだ.
 また,皆川自身が赤江を意識していることは,彼女のエッセイを読んでも分かるし,作品内容からも疑い得ない.例えば―― 赤江『幻想編』の表題作「花夜叉殺し」(1972)は,噎せ返るような花の香りを「幻嗅」させる傑作だが,作品の主役は実のところ人ならぬ「庭」である.皆川の傑作短編「風」(1983)もまた「庭」が主役の作品であり,赤江作品を意識していない筈はないが,正攻法で挑戦するのを避け,敢えてシュールレアリスティックな手法を用いて差別化を図っている... というのは,勿論俺の妄想なのだが.
 兎も角,遅れて来たファンの特権として,これから初めて「ニジンスキーの手」(未入手)や「オイディプスの刃」(入手済み)を読めるという楽しみがあるので,ワクワクしているのだった.

[と言いつつも久々に新刊本を購入]
○東陽片岡『熟女ホテトルしびれ旅』(青林工藝舎 2011)
 東陽本はどれを読んでも同じなのに,新刊が出るとつい買ってしまう... 電車の中で読むのは流石に恥ずかしいが.

○都筑道夫『怪奇小説という題名の怪奇小説』(集英社文庫 2011.親本 1975)
 数ある都筑作品の中でも際立った「怪作」.1980年に一度文庫化されて以降絶版だったから,実に31年振りの復刊ということになる.
 先の文庫版を持っているにも拘わらず買い直したのは,この作品にやられて作家になったという道尾秀介――「道尾」は「道夫」から採ったという――の熱い解説にほだされたから.俺は古書マニアじゃないので初版にはこだわらないけれど,この解説に出てくる装丁の説明を読んで,初版(桃源社)が欲しくなってしまった.見付けたら買ってしまうな,きっと.
 現在新刊で入手できる都筑の小説は,本書以外には「なめくじ長屋捕物さわぎ」シリーズ(光文社文庫)ぐらいしかないが,直木賞作家の威光を借りてでも何でもいいから,今回を機に主要作品群が復刻され新たな読者が生まれることを,ツヅキストとして希望する.
 因みに,全6巻のうち現在第4巻まで復刊中の「なめくじ長屋」は,各巻とも旧版2巻分を合本にした体裁で,旧版の解説も再録されているから,都筑入門用としてはお得だと思う.

2011.01.30 GESO