記事No | : 267 |
タイトル | : 2010/11/24■186 あなたのえらさはなんポッチ? |
投稿日 | : 2013/10/05(Sat) 21:25:54 |
投稿者 | : 管理人 |
[NO THOUGHT, NO MUSIC]
△ドラム・マガジン・フェスティバル(10/23,24 DIFFER有明)
ドラム専門誌主催による二日間のイヴェント.人気ドラマーのソロ又はリーダーバンドを結集した,読者=ドラマー志望者へのサービス企画というタテマエだが,ホンネが楽器メーカーと楽器店による商品プロモーションであることは,当然である.
各社のブースが向かい合わせにびっしり並んだ通路を抜けなければライヴ会場である大ホールに入れない配置になっているの見るだけも,それは明らかだ.
ドラムセット――アコースティックもエレクトリックもあり――やパーカッション,エフェクター,関連アクセサリーをブースで販売しているほか,ドラムクリニックや楽器の試奏コーナーも豊富.客や店員があちこちでてんでにドラムスやパーカッションを試奏しているので,喧しいこと夥しい.
世間にはドラマー志望者がこんなに大勢いるのかと,正直驚いた.
俺の目当ては外山明+倉地久美夫のライヴのみなので,二日目のごく一部を観ただけだが,ライヴ会場の防音が不充分なため,扉が閉まっていても外の音が常に漏れ聞こえてくるし,人の出入りでドアが開閉される都度,騒音がもろに飛び込んでくるのには,閉口した.
熊谷徳明はフュージョンの典型のような16ビート叩きまくりの演奏.ドラム小僧にとっては良いお手本なんだろうけど,部外者にとっては面白くも何ともない.
芳垣安洋のRADM Jaz――高良久美子(vibs)・高田漣(g)・曽我大穂(fl,鍵盤ハーモニカ)・井上陽介(b)――は,カンタベリー風のオリジナル曲と1920年代のスタンダードナンバー(タイトル失念),そしてビクトル・ハラ「平和に生きる権利」の3曲を演奏.控えめなドラミングに好感が持てたし――手数の多いドラムは嫌いだ――歌心を感じさせる演奏で良かったけれど,全曲インストだったのはちょっと物足りない.
トーマス・ラングの演奏は,殆どローランドVドラムのデモンストレーション.後半もう一人――名前失念.スケジュール表にも出て来ない――が加わって,そちらはオクタパッドを演奏.MCもスポンサー=ローランドをヨイショする内容で鼻白む.うーん,どうでもええわ.
外山明+倉地久美夫の演奏は,このイヴェントにおいては明らかに異質で,途中で退出する人も多く,最後まで立ち会った観客は当初の半数ぐらいだったが――それでも100人ぐらいはいたか?――アウェイでこのくらいの観客に興味を抱かせることができれば,充分という気もする.
この日の主役は外山ということなので,通常はMC役の倉地が喋りをセーブしていた点を除けば,いつもの息の合った倉地-外山デュオだった.
△John Cage 100th Anniversary Countdown Event 2010(11/6,青山学院アスタジオ)
開場と同時に始まる「33 1/3 (1969)」は観客も参加できる「開かれた作品」なので,俺も,そこいらに撒き散らかされたLPレコードから好きな盤を選んでプレイヤーを操作しながら再生した――そういう作品なのだ――が,本来は参加者全員の音がミックスされて再生されるべきなのに,俺がいた会場外のレコードプレイヤー群の音と,会場内のそれとが,別系統のPAで再生されていた(らしい)のは残念.
他の演目は有馬純寿・美川俊治・村井啓哲による「Cartridge Music (1960)」,ニシジマ・アツシによる「Variations II (1961)」,佐藤実・三浦礼美による「TWO3 (1991)」,村井啓哲による「4'33" (1952)」.
乱暴に纏めれば,退屈さと緊張感が同居するライヴ演奏だった.最後のぬるいトークセッションには得るものなし.
「4'33"」の「新たな可能性は個人による自分自身のための独奏である」とされ,「今回はその模様を映像で実況配信」するという試みがなされた.確かに,この作品が初演当時持っていた音楽批評の実践としての非-演奏行為の意義も衝撃性も――デュシャンのレディ・メイドの意義や衝撃性がそうであるのと同様に――今日では既に失われている以上,別の可能性を求めて試行錯誤するしかないのだろうが,そうまでして再演する必要があるのか,疑問である.伝説として語り継いでおけばいいんじゃないの?
× 最近観た色んな演奏を往年のバンドのそれと比較して評するならば,例えば「ザ・ワークから思想性を抜き去ってリズムとコードの変奇さだけで演ってるみたい」だとか,「ユーモアのセンスを欠いたサボテンみたい」だとか言いたくなってしまう.他にも,巧いだけで面白くも何ともないソロ演奏とか,韜晦的な言葉で信者を煙に巻いてるカリスマ音楽家など,正直うんざりする方々ばかりである.
懐古趣味に走るつもりはないが,どうしてたって昔の音楽を聞く方が面白い.
...といった具合で,今どきの音楽について何か言おうとしても殆ど愚痴か悪口ばかりになってしまうので,これからは何も書かないことにする.
[NO REALITY, NO MOVIES]
△監督・脚本 吉田喜重『鏡の女たち』(2003 日)
「東京の閑静な街に暮らす老婦人<岡田茉莉子>とその孫娘<一色紗英>の前に、失踪して行方がわからなかった娘、そして孫娘にとっては母と思われる女性<田中好子>が、24年ぶりに現われる。だが娘と思われる女性は記憶を失っており、それをよみがえらせるために母は娘と孫娘とともに、広島に向かった。原爆はあの閃光を見た死者のみが語ることができる。生き残ったわれわれにそれを語る権利があるのだろうか。原爆を表現することの不可能性を鋭く問いかける、吉田監督らしい作品。カンヌ国際映画祭特別招待作品。」(東京国立近代美術館フィルムセンター.<>内は俺の補足)
ということで,テーマは深刻だが,感触はテレビの2時間サスペンスドラマに近い.
だが,今どき「記憶喪失」を出してくる安直さ,ときに芸術的すぎて臭い台詞や映像の違和感,途中まで回想シーンが全くないのに後で二度出てくる不徹底さなど,疑問を感じる点が多い.
いっそ俗っぽい作品に徹底すれば良かったのに,と思う.
[NO IMAGINATION, NO STORIES]
○千街晶之 選『皆川博子作品精華 迷宮 ミステリー編』(白泉社 2001)
アンソロジー三部作の第一弾(第二弾は既読の『幻想編』).
『幻想編』に較べると遥かに現実味があって普通のミステリ小説に近い作品群ではあるが,ありきたりの作品は皆無,
漫画化するなら上村一夫しかない...と,あり得ぬ「絵」を妄想せずにはいられない惨酷美の「蜜の犬」.一見社会派ミステリと見紛うばかりの「疫病船」.純文学と見紛うばかりの――掲載誌は「小説宝石」や「小説現代」なのに――「私のいとしい鷹」や「反聖域」... どれをとっても謎解きを無邪気に愉しむ類のミステリとはほど遠い,ジャンルを跨ぎ越した複雑な味わいを醸し出している.最も普通のミステリに近い「孤独より生まれ」のような作品でさえ,嫉妬を生々しく描いた濃密な恋愛小説の貌を併せ持つ.「リアリズムもある方向に徹底すれば幻想に変容する」(千街晶之)ことを知悉した仕業.あな恐ろしやミナガワヒロコ...
○日下三蔵 選『皆川博子作品精華 伝奇 時代小説編』(白泉社 2001)
アンソロジー三部作の完結編.
岡田嘉夫の挿絵とのコラボ連作『絵草子妖綺譚 朱鱗(うろこ)の家』+オリジナルの俗謡や清元まで含む短編傑作選+事実上のデビュー作である少年向け時代小説『海と十字架』という贅沢な三部構成.
『朱鱗の家』の12編中5編は「絵が先」とのことだが,どれがそれなのか,絵も物語も完成度が高いため当てるのは難しい.『逆想コンチェルト』とはレベルが違う...
単独の短編の中で「渡し舟」は都筑道夫に似ていると思ったが,想像を逞しくするなら,これは両者とも岡本綺堂の影響を受けているからだろう.綺堂は宮部みゆきもお手本にしているが,時代小説/怪談小説作家として極めて重要な存在である.
それにしても,「児童文学」が「自動文学」になっている誤植は悲しすぎる...
○美内すずえ『ガラスの仮面 46』(白泉社 花とゆめCOMICS 2010)
二か月続けてのリリースというのは初めて.反動であと二年くらいは出ないのでは,と心配になる.
ここのところ,話の展開が極端な感じのガラかめだが,この巻では,マヤへの嫉妬で鬼女と化した鷹宮紫織が今までとは別人みたいで怖すぎ...
○飛浩隆『ラギッド・ガール 廃園の天使U』(ハヤカワ文庫JA 2010)
『グラン・ヴァカンス』に続く中編集.
内容的には前日譚だが,「大途絶」の原因が明かされるため,こちらを先に読んでは興醒め.後に読むべきだろう.かなり考え抜かれたSF設定であることが分かり,感心する.シリーズ完結まで少なくともあと3,4巻を要すると思われるが,『V』も未だに出ていない現状では,いったいいつになることやら...
○カミラ・レックバリ『氷姫』(集英社文庫 2009.原書 2003)
スウェーデンの女性ミステリ作家のデビュー作.
普通のミステリならこの半分の分量で済みそうな物語がこれだけ長大になっているのは,登場人物の書き込みが端役に至るまで懇切丁寧だからだ.
主人公が語る「本当に関心があるのは人間たちとその関係、そして心理的モチベーションだ。大抵の推理小説が、血にまみれた殺人と背筋をぞくぞくさせる興奮を優先するために失っているもの。」という言葉は,そのまま作者のモットーと捉えていいだろう.
その志は良いとして,読者としては謎解きの興味も両立させてもらいたい訳だが,本作はやや驚きに欠ける向きもある.
でも,続きを読まずにはいられなくなるシリーズ作品なので,2作目『説教師』を読み出したところ.
本国では既に7作が刊行済みというが,この翻訳ペースでは,この先も6年遅れくらいでしか読めないだろうな...
○沼田まほかる『猫鳴り』(双葉文庫 2010.親本 2007)
長編3作目.相変わらず読者に媚びない過酷な小説で,読むのが辛い.辛いが止められない.猫を飼っている人には取り分け読むのがキツイと思われるが,必読.
△川村俊一『虫に追われて 昆虫標本商の打ち明け話』(河出書房新社 2009)
○宮部みゆき『おそろし 三島屋変調百物語事始』(角川書店 2008)
○同『あんじゅう 三島屋変調百物語事続』(中央公論社 2010)
よそにかんそうぶんをかいたのでしょうりゃく.
2010.11.24 GESO